こんにちは、青戸真穂です🌈

今日は、まずは、とっても私ごとですが(このブログ、基本いつも、私ごとですが!)、

感動をご報告させてください❣️

 

今朝、娘さんが、久しぶりに

泣かずに!

自分で歩いて!

幼稚園への登園を、果たしました〜❣️✨👏

 

感動😭✨👏

 

少し前から記事でも触れていた通りちょうど一週間前から、

(いま、スケジュール帳確認したらちょうど一週間前でした(@_@))

 

今年の3月まで半年間通っていた保育園でも、

そして春からスタートした幼稚園生活でも

これまで一度も「行きたくない」と言ったこともなければ

母(私)と離れるのを嫌がって泣くことも一度もなかった我が家の娘さんが

「幼稚園、行きたくない!」と毎日、泣き喚いて登園拒否をしていたのですが

 

相変わらずいやよいやよと言いながらも

なんだか、昨日あたりから少しずつ、落ち着きを取り戻してきて、、、

 

今朝は、やっぱりいやよいやよと言いながらも

「ママとパパと幼稚園”行きたい”。。。」と

(”行きたくない”ではなくて!!←興奮)

そして自分で歩いていく!と

そして幼稚園に入ってからは自分でバックも持つ!と

そして、泣かずに「バイバイ」をすることができました〜😭

 

先生と(心の中で)抱き合って

「😭😭👏❗️❗️」と、無言でうなずき合いました(笑)

 

明日からまた三連休なので、また連休明け後は、どうなるかわからないのですが😌

 

でも、いいんです

幼稚園に通えている、自ら行きたいと思えている娘が、素晴らしいのではなくて

そうではない時、泣いて登園拒否をする娘が、素晴らしくないのではなくて

 

どちらも、どの時も、ありのままに、生きて、ここにいてくれている

そんな娘が、ただそれだけで素晴らしくて

例え、泣いてわめいても、ずっと抱っこで離れようとしなくても

「行った」という事実が彼女の中で素晴らしい一歩であって

そしてそれが例え、行けない、という日があったとしても、

「何もできなかったし生まれなかった」わけじゃない。

 

今朝、自分で歩いて泣かずに登園したことは、本当に嬉しくて素晴らしいことだけれど

じゃあその逆だったときに、それがダメで残念なこと、

娘の価値を下げるものなわけではないこと。

 

どっちだって良いんです。

そして、どっちだって、大丈夫🌈

 

本当に、心からそう思い、信頼して

(そして信頼というのは「いつか行けるように頑張ってくれるだろう」という類のそれではなく←これは多分”期待”ですね😌

例えこのまま幼稚園に一生いけなくなったとしても、悪いことは起きていないという

ありのまま、そのままの娘の命への信頼です✨)

 

安心して、笑ってその時を過ごしていたら

期せずしての娘さんの大躍進でした🌈👏

心からの拍手喝采を送りたいと思います✨

 

私たちって、無意識のうちに

本当に、いろいろな囚われの中を生きていて。。。

 

よく「右肩上がり」なんて言葉が、あると思います。

経済成長、右肩上がりが良し、なんて当たり前に言われているように

私たちもまた、時に

直線のような鋭さで上へ上へ、前へ前へと向かう”右肩上がり”を、

いつからか当たり前のように、人にも自分にも期待して、求めていて。

 

そしてそれは違うんだよ、と

波のように、上がったり下がったり

そんな上下がありながらの上昇線でもいいんだよ、と

そんな意見が出てきて、

私も、ほんの数年前までは、そんなふうに当たり前のように思ってこの仕事をしていたんですけど

それすら囚われだったなあ、って、今回の娘のことから気づかされて

というのは、それすらも

「上昇(成長)してゆくこと」が良いという大前提で。

「波があってもいい(上昇、成長してゆくのなら)」という大前提なのなら、

例えば娘が、今日、自分の意志で幼稚園に行けて、

もし連休明け、また、行きたくないとなって、

それがこの先もし、ずっと「行きたくない」が、変わらなかったとしたら。

今日のようにもう、「行きたい」「行こう」と思える日が、永遠に、こなかったとしたら。※例えですよ⭐️

 

そしたら、今日の娘の素晴らしさは、「無い」ものになってしまうのか?

下がっていたところから、今日、上がって、

そこからまたもし、下がって、再び上がることがなかったのだとしたら、

今日、上がったその一日、その一瞬は、

果たして意味のなかったものなのか?

 

いやいや、そんなわけないでしょう。

 

そしてもし、娘の今日の踏み出した一歩に、

明日次第で、未来次第で、そんな捉え方しかできなくなるのだとしたら、、、

 

それは、なんとゆうか、

絶対に違う

って、そう強く感じたのです。

 

そして娘が気付かせてくれたこのことは

自分自身に対しても、このお仕事でご縁をいただく方たちに対しても

”同じなのだ”と、思ったのです。

 

この、直線だろうが、波ありだろうが、いわゆる”右肩上がり”とか言われるものの

あの、縦軸と横軸のグラフ(分かります?笑)”そのもの”が

私たちの中にある、無意識の囚われで、

その”グラフごと”(笑)私たちは

ポイっと捨てちゃってもう、良いものなのだ。

と。

捨てられない(気になってしまう)、としても

それはただ、後から私たちの価値観に強く刷り込まれただけの

真実ではないもの(指標にしなくていいもの)なのだと

”知っておく”ことだけでも

それは癒しにつながるものだと私には感じられました⭐️

 

そしてそのグラフ自体を、私たちの頭の中から、ポイっと捨てる時

そんな平面体の、薄っぺらい数字のグラフなんかを遥かに超えたところで

成長も前進も、勝手に生まれるものなんだって。

 

私たちの小さな頭の、その、小さな計算の遥かに超えた、その外に。

そしてそれは、自然の草木が、

成長しよう、変化してゆこう、と頑張ろうとしなくても

自然と、太陽に向かって伸びていく(伸びて”いる”)のと同じように。

 

娘がもし、幼稚園に二度と行きたくないと言ったとしても

(しつこいですが、例えでしかないのですが😌)

それが娘にとってのそうなら、

その”止まったかのように見える成長”とやらが

娘にとっての太陽に伸びていっている何か、なのだと。

 

子育ても、この仕事も、自分に対しても

そんな”生命への信頼”を、忘れないでいたい🌈

 

今朝のライブもやっぱり、

”ありのままのその時の娘”が、

素晴らしい分かち合いの機会をくれましたよ😊

 

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(※ライブから一週間以上を経過したアーカイブは順に削除してゆくため、
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たくさんの大切なことに、いつも、そのままの姿で気づかせてくれる娘に感謝です✨

そして、そんな完全に私ごとな出来事を通して、何がお伝えしたいかというと、、

 

だから、大丈夫なんですよね🌈

何もしなくても、何も前に進んでいなくても(そう感じられても)、

ただ、生きているだけで、存在しているだけで、素晴らしくって、

あなたも、私も、みんな😌🌈💎

 

前に、インスタのストーリーズに載せましたが
シュールなパイナップル娘さん🍍🤣

夏休み前、パパの麦わら帽をぶんどりキメ顔の娘さん

 

さて!

今日は朝からそんな喜びや深い学びを感じつつ

私も昨日、大きな手放しがあってスペースが空いたことで

(そのことも、娘の変化と連動していたかな、と感じます😌)

”やりたいこと”が出てきて。。。🌈✨

 

長くなってしまったので、また、メニューページの更新とともに

次の記事で詳しくご案内させていただきますね😌

続く⭐️