・魂のブループリントを生きるとは?
魂のブループリントを生きる、とはこちらの記事でも少し触れた通り
実は私達にはひとりひとり、それぞれに異なる「人生の目的」があって、それは
自分自身が生まれてくる前に「今回の人生はこんな学び、体験を通して魂を磨こう」と予め決めてきた目的なんです。
【魂のブループリントを生きる】とは文字通り、そんな魂の青写真にプリントしてきた(決めてきた)人生を生きるということ。
この時代、この家族、
こんな感じの経験をする人生、
こういうところでちょっと厳し目のチャレンジをする(そのことで魂を磨く)・・・
そんなようなことを私たちは全部、生まれる前に決めてこの世界に降りてきていて、
けれども、生まれてくる前にはその大事な自分自身への約束・そして決め事を全て忘れてゼロから獲得、挑戦することすら、決めて、生まれてきているんです。
けど、私たちはその決めた目的を忘れていてもきちんとその人生を生きていくことができるように、自分の人生の節目節目に
”乗り越えるべき課題(チャレンジ)”を用意していて
それがいわゆる、人生の中で起きる”問題”や”トラブル”のようなものを指します。
つまり私達って、自分の人生というドラマの主人公でもありながら、実は監督も兼任してる、みたいな感じで、
生まれてくる前に、自分の人生の目的とその目的を果たすために必要な出来事(ドラマ、チャレンジ)を監督としてシナリオを描いて用意しておいて
それを、ときが来たときに起こす、みたいな、そんなふうに実は、誰もが主役兼監督の一人二役を実はやっているんですよね。
それで、そんなことをお伝えしたとき、きっと誰もが感じるのは
”えっ、問題やトラブルなんて、いらないよ。”
”そんなもの、できれば経験したくないよ”って
”この、主人公としての立場の私たち”は思いがちですよね。
でも、映画やドラマの主人公がそうであるのと同じように、私たちは
人生に、トラブルや問題が起きなければ、
チャレンジをすることも、自分自身を磨いていくことも、
そのきっかけを持つことができません!
上述した「魂のブループリントを生きる」ということは、この
「自分の設定してきた課題やトラブルとちゃんと向き合い、乗り越えて、それを”魂を磨くギフト”に変えていく(そしてハッピーエンドへ)」
という一世一代のドラマ(劇)をきちんとこの現実世界で上演するということでもあるんです。
そしてこの設定してきた課題やトラブル、そしてどんな形で魂を磨くのか?ということも、十人十色という言葉があるように、人によって本当に全員違うんですよね。
・魂を磨くチャレンジとギフト、私の場合は。。。
これ、人の例で説明されるとわかりやすいのかもしれないので私の場合のお話なのですが
わたしの場合はおそらく人生最大の(自分で決めてきた)チャレンジって、
まだたった3歳の頃に、3つ上の姉が大きな病気をするということ、そしてそのことで、「親に愛されていない」と思い込んでしまう経験だったと思うんです。
これを当時の、そのことでめちゃくちゃ悩んでいた過去のわたしに言ったら
「はあ?そんな人生誰が望むか!(そんなわけない!)」ってどつかれてたレベルかもしれないんですけど、結果的にはその悩みがあったからわたしは心のことや、生き方のこと、
「人生ってどう生きていったらいいようになってるのか?」っていう根本のことを突き詰めてゆくようになり、結果として今の仕事をしていて、そしてその仕事をわたしはすごくおもしろいこと、自分にあってることだなと心から感じているわけで、
もし、あの幼いころの悩み(経験)がなければ、今心から好きだと感じられる仕事には出逢えていなかったかもしれないんです。
あるいは、旦那さんにもきっと出逢えていなかったし、出逢えていても惹かれることもなかったかもしれない。
そうしたら娘はいなかったかもしれないし、、、って考えると
「今、幸せを感じている自分」という、まだわたしの人生は現在進行系で続いているのでハッピー”エンド”ではないですけど
少なくとも「幸せだな」と感じられている今の自分っていうゴールから逆に過去を見てみると
そんな人生のつまづき(課題みたいなもの)が人生になかったら、
その過去から生まれた心の悩み、苦しさと真剣に向き合って、一つ一つ乗り越えていくチャレンジがなかったら
今の自分の人生も今の自分自身もなかった、と思うんです。
そしてそんなプロセスがあったから自然と私の魂が磨かれて行って、
困難と感じていたチャレンジは、私に自信や、パートナーの存在や、家族仲の改善や、娘を授かったことなどの
様々な形の”ギフト”を与えてくれたわけなんですよね。
そしてそのチャレンジとギフトに終わりって実はなくって、
私たちはより深いところで、よりいっそう、自分の魂のブループリントを鮮明に生きていこうとすればするほどよりたくさんのギフトを得ていくことができるんです。
わたしが、自分を生きるようになりはじめたらまさかのいちばん家族でゆるせなかった姉が今の旦那さんを紹介してくれるとか
まさかの移住が実現したり(お金も全部整ったり)、
そういうことが起きたのは、この魂のブループリントを生きるっていうチャレンジに対するギフトだということなんです。
そして私達ってチャレンジを通して過去の苦味を感じる体験(記憶)の一つ一つを甘みに変えていったとき
私たちを、過去の記憶からの反応を繰り返すだけの”操り人形”にしていた糸が一つ一つプツン、プツンと切れて
本当の意味で軽やかに、心自由に幸せに生きることができるようになるんですよね。
・過去に、反応に生きることを繰り返す人生
・”操り人形”であることを超えて
過去の記憶からの反応を繰り返すだけの”操り人形”とは何かというと
この記事にて触れたとおり
(※一週間ほど前に、記事の内容を全面改訂しています。一度ご覧になったことのある方も、よろしければ再度お目通ししてみてくださいね)
私たちは、自分の意志で自分の人生を生きているようでいて、実はそれって「本当の自分の気持ち(のぞみ)」というよりも
過去の記憶に反応することを繰り返して、生きている感じなんです。
それはまるで、”操り人形”みたいなもので
過去あった嫌なこととか、その嫌なことを通してできてしまった「自分なんて」っていう想い=記憶に翻弄されて生きていて
私たちはよほど意識的でない限り、自分が感じ、考え、選択し、行動しているようでそんな目に見えない膨大な数の記憶に糸を引かれて、
気づけば誰かの言葉に勝手に傷ついてしまったり
自分は愛されてない、大切にされていない、など感じてしまったり
嫌われた!と焦ってしまったりするというわけなんです。
これらは全部、過去の何か似たようなパターンの記憶から、そういう”判断(反応)”をしてしまってるんですよね。
そんなふうに、私たちは無意識で
糸に引かれてただ動くだけの、過去からの操り人形としての人生を生きている可能性があります。
そしてそれは上記の引用記事でも触れている通り
”この私”はこの世界に生まれてきた瞬間から始まったわけでも
受精卵となった瞬間から始まったわけでもなくて
実はもっともっと前から、何度も何度も、時には違う国の人として、違う性別で、異なるいくつもの時代に転生を繰り返しに繰り返してきて”今の私”がいて
全てすっかり忘れているそんな過去生や前世と言われるような過去の体験・記憶にすらも糸引かれ操られ翻弄されてる操り人形になりさがってしまってるのかもしれないなのかもしれないということなんです。
・前世・過去生は、超えて糧にしていくもの
よく、こうしたスピリチュアル的な業界だと
「前世こういうことをしていました」とか
「過去生でも私はこういう仕事をしていて」とか、なので
それを今世でも引き続きやってて、みたいな方もお見かけするんですけど実はそれが良いことか?というのは単純に言い切れなくて
なぜかというと、それだと結局、地続きの過去(生)から反応して生きていることに変わりはなくて、
過去、前世のパターンを繰り返してしまうとか
その枠を超えられてない、ってことになるから。
お仕事や何かでは大成功しているけれど、家庭やパートナーシップが壊れてしまったりみたいな人が事実いることももしかしたら、
過去生や前世にやってきたことの枠を超えていないからなのかもしれません。
私たちは、どれだけ能力が高くても、今までを超えて次にいくために、転生を繰り返してるんですよね。
なので、どれだけ過去生、前世が素晴らしいものであっても
その枠を越えて次のチャレンジをギフトに変えていかなければ
どこかで、過去生でも失敗したパターンを繰り返して苦しくなる。
だから、前世、過去生さえも(それがどれだけ素晴らしいものであったとしても)
その操り人形であることは、私たちみんなが越えていかないといけない部分なんだと思います。
過去に糸引きされた操り人形の反応というカタチと枠の中で、能力を高めたり、何かを学んだりするのではなく
そんな自分を自覚し、手放していくこと
そのことが
魂のブループリントを生きていくことなんだと思ってます。
それを、楽しむために生まれてきてて、
実際にそのことが体験を通してわかるようになってくると、人生って本当に楽しくなっていくんです。
そんな波に乗っていけるようなサポートを継続コースではやっているので、もしピンとこられた方はぜひご縁を持っていただけたら嬉しいです🌈
ぜひ一緒に本当のあなたが開花していくこと=あなたの魂のブループリントを生きることのお手伝いをさせてもらえる日を楽しみにしてます💞