おはようございます、青戸真穂です🌈

今朝は、いつものインスタライブの前に

我が家でプチ事件が勃発。。。

娘、入園以来はじめて

「もうあーちゃん幼稚園、行きたくないの!!」

 

ガーーーン

 

いや、行きたくないのいいし、

行かなくても別にいいけど

母は仕事がしたい。。。

親都合でごめんなさい🤣

 

先日のコンサルテーションの時は、良いこにしてくれてたのに〜
(自分都合丸出しの母の心の声)

 

行きたくない、の気持ちの背景として思い当たったのは、

今週から運動会の練習が始まったこと。

 

今の幼稚園は、割と行事ごとをたくさん入れてくれていて、

先生たちみんな、子供たちを楽しませようとすごくしてくれる反面

そうであればどうしても”すること”が増えることでスケジュールがキツキツになってゆくので

それを”こなす”こと、”ついていく”ことに関しては

うちの子のような、超マイペースタイプの子には

結構、心身の負荷がかかっているのじゃないかな?と少し気になっていて。

 

13の月の暦やオーラソーマって、そういった

私たちがもう当たり前に受け入れてしまっている暦

そして暦って、行事ごととすごく密接に関わってくるので(例えば秋になったら運動会!など)

今朝のインスタライブは少し、そんなことをお話していたんです。

 

でも、その後また展開があり、それがものすごく深い気づきというのかな、ギフトにつながっていったので

今日のブログではそのことを書かせてくださいね。

 

ライブが終わって、さあ幼稚園いくぞ!となるも、やっぱり娘が断固として

「行きたくない!!」

 

制服を着せようとするも、泣き喚いては脱ごうとしてしまい

もうどーにもこーにもいかないな、と

そしてこんな時、良いのか悪いのかはわからないんですが

私もJOEさんも

「そもそも、そこまでして行かせる必要あるのか?」

という気持ちにすぐなってしまうんですよね。

 

そもそも、

幼稚園って、本当に行かなきゃ行けないのか?

学校って、本当に行かなきゃいけないのか?

宿題って、本当にやらなきゃいけないのか?

会社って、本当に行かなきゃいけないのか?

 

・・・この”問い”に対する答えがいつも

親である自分の中にこれといったものが持てなくて

なので結局いつも

「そこまで嫌なら、別にいいんじゃない」

「人生、自分のしたいようにしたらいい」

っていう結論になってしまう。

 

自分のことは、それでいいと思ってるんですけど

果たして子供に対してこれで本当に良いのかしらね?と自分に思う場面も正直

時々あって。

(ただの甘えたちゃん、わがままちゃんに育ってしまったらどうしようとか。)

 

でも、今日はそんな感じでもういいか、と、というか

こりゃ無理だ

と早々に諦めて引き下がってしまったんですけど

(ザ・根性のない親二人)

 

しばらくしたら、娘が自分から

「行く」と

言い出したんです。

 

で、「え!もう先生に休むって言っちゃったけど!」

「でも本人やる気なら、連れて行ってあげたいなあ」と

園に電話して、遅刻ながらも抱っこして連れて行くことに。

 

そしたら直接担任の先生が出てきてくれて、

私が娘の登園拒否の理由として思い込んでいた

「運動会の練習っていう集団行動がタイトすぎて行きたくないんだ」という理由とはまた全然違った視点を話してくれたんです。

 

それは、娘の2学期の様子の変化についてで、

それまでの娘は、本当にマイペースで、人に頼るのも上手で

お弁当、クラスで最後まで一人で残ってても、全然気にせず自分のペースでゆっくり食べ続ける子で、

幼稚園に夫JOEさんが送って行っても、

なんかうちの娘だけ、脱いだ靴とか、お友達が率先して運んでくれたり

なぜかやっぱりお友達が、「あやはちゃん、もつよ!」って娘のカバン率先して持ってくれたりするらしくて

(本当に、なぜ?🤣 尽くされやすい体質なのかな?🤣)

そして娘も「ん。(では任せた)」みたいな感じだったらしく

それはそれで才能かな!?くらいに思ってたんですけど、

そんな我が道をとことんゆくタイプだった娘が、2学期に入ってから

 

お弁当の時間、最後まで一人で残っていると、”気にする”ようになり、

頑張って早く食べようとするようになったり、

お友達が持つよ、やるよ、と言ってくれても

「いい!(自分でやる!)」って言うようになったり。

 

それってもちろん、もしかしたら

先生が結構、厳しい時は厳しい人なので、「早く食べなさい(最後になっちゃうよ!)」とか「自分でやるようにしようね!」とか

言われてきて、そうしなければって思ってしまうようになった、という見方もあるかもしれないけれど

今回のことはそういう部分も少しはありつつ、

聞いていて、

「娘の、成長と意欲のあらわれ」

なのだと感じたんです。

 

・自分でやってみたい。という意欲。

・自分だってできるんだ。というよろこび。

そして

・今、そのままの自分をただ、受け入れて生きることの心地よさだけじゃなく

トライしてみることの、面白さ。

 

そんなものを今、体験を通してまさに体得しているプロセスにいるんだ、って。

 

けれど、これは先生も伝えてくれたことなのですが

そんな”意欲”はでてきながらも

やってみたいのに、やれるようになってみたいのに

すぐにはできないことももちろんいっぱいあって

”できる”に至るまでの

できない自分を感じたくない気持ち。

受け止めたくない気持ち。

そのプロセスを、端折りたくなる気持ち。

嫌だという気持ちも、いっぱいあって、

 

やりたいけど、やりたくない。

トライしたいけど、したくない。

 

そんな気持ちを人は

葛藤と呼ぶのだと思います。

 

でも、それは悪いものではなくて、

葛藤は、成長の証

なのですよね。

だって、葛藤してることそのものが、成長している証だから。

そもそもチャレンジしようとしなければ、自分が今の自分から少し、進んでみよう、脱皮してみようと思わなければそもそも、

葛藤することなんてないのだから。

 

 

なんだ、娘は運動会のキチキチとした練習や準備が嫌だったのではなくて

(いや、それももちろんあるとは思うけど😅)

自分の中で、葛藤していたのかー。

 

そしてそれは、娘が前進しようと、成長していこうと、しているから。

 

今のままも、楽しくて幸せで、けれども少し

こんなこともしてみたい。あんなことも、やってみようかな?

 

そんなふうに感じ、トライしようとしている中で、上手くできない自分にぶち当たって

それを、見たくなくて、感じたくなくて、でも、それそのままで良いともできなくて(そしてそれはとても素晴らしいこと✨)

もがいて葛藤して、それを感じてしまう幼稚園に、行きたくなかったのか⭐️

それを感じないで済むおうちに、とどまってみたくなったのか⭐️

けれども、「やっぱり行く」って言えたのか⭐️それは、自分から、自分の意志で✨

 

それならば、今、娘の中で起きていることは

とてもとても、素晴らしいこと🌈

 

明らかに、娘を抱えて幼稚園に向かった朝とは

私の気持ちが全く違うものになっていました。

そして先生から、

娘の園での様子、そしてそのことに対して「成長だと思う!」と、その時の私になかった視点を与えてくれた先生に

その直前までは、娘可愛さにどこか

「やっぱり先生はわかってない!」

「やっぱり三次元だけにどっぷり浸かって疑いなく生きてる人は、わかってない!」

と感じていた自分を

なんて傲慢だったんだろう、と

なんて恥ずかしいことだったろう、と

そう思いました。

 

そして娘を先生に預けて自宅に帰るその道すがら、こう思ったんです。

ああ、私が今生で

子供を授かり、育てるという経験を得られたわけはきっと、

こういう学びを得られるようにというためなんだなあ

と。

 

もし、娘を授かることがなかったら

母というものになって見ることがなかったら

こういう仕事をしていると、もし、子供を持つことなく、自分一人だけで生きていたら

”こういう仕事のつながり”だけで人生を完結させることもできてしまうから。

 

スピリチュアルに、目覚めを生きて(いると思って)

まるで高台に自分たちがいて、三次元どっぷりを生きている人、自分たちの元を離れていってしまった人たちは

高台の下にいるかのように、勝手に見下ろして

「わかっていないんだよね」って

 

そうして、高台(高いと思っているところ)の上にいる人たちとの、狭い人間関係だけで

人生の残りの時を過ごしていく。

 

でも、これがね、子供がいると、いることによって

幼稚園や保育園、ママとの繋がり、学校、

必然的に、高台(と思っているところ)だけにはいられなくなるんですよね。

 

スピリチュアルなんて「はい?」みたいな人がいても

その中で、相手をわかろうとしたり、必要があれば、わかってもらおうとしたり

そんな人間関係を築いていく必要が出てくるんです。

 

それでね、それって、、良くないこと(煩わしいこと、面倒なこと)のように思えて実は

そうじゃないんじゃないかな、って

私は思うんですよね。

 

例えば、高台にいる、同じ価値観、いつも「こうだよね〜!」って、自分の価値観のイエスマンばかりの人と繋がれていたら

それって楽ではあるけれど、、、

今回の私のように

「ああ、わかってなかったのは自分の方だな」とか

「自分は傲慢だったな」とか

「私は、スピリチュアリティや目覚めということには詳しいかもしれないけれど、

子供の発達や成長については、まだまだ全然無知なんだなあ」とか。

 

そんなふうに「ハッ!」と気づかせてもらえる機会を得られるチャンスを

失ってしまっている、ということでもあると思うのです。

 

そして私はいつも、こういう仕事をしながらも、いわゆるそうではない世界を生きている人たちから、そんなふうに気づかされて

「ああ、わかっていなかったのは私の方だ。

神様、○○さん(相手の人)、ごめんなさい。」

 

そんなふうに思う(気づかされる)ことが、今までも、すごく多かったような気がするんだけれど、

それって、マイナスな経験じゃなくって

ものすごく豊かな経験だって思うんです。

 

愛に、気付ける経験。

感謝を、感じられる経験。

 

家族のことだっておんなじで、同じスピリチュアルでも

だから、家族はわかってない、ってジャッジすることに振り切れる人もたくさんいるけれど、

どちらかというと私は、、、

 

「ああ、わかっていなかったのは、私の方だ。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。」

 

そう何度も思ったし、そしてそう思えた(気づけた)自分は

とても幸せだと思う。

 

スピリチュアルだとか、目覚めだとか、そんなことを抜きにしても

目の前に差し出されていたたくさんの愛に、

気が付くことができる機会を得れたから。

受け取ることのできる機会に、恵まれたから。

 

気の合う人たちばかりを自分の周りに集めて、狭い高台に自ら引っ込んで

下界(と思っている場所・人たち)と自らしっかりと境界線を引いて

言い方は悪いけれど、そういう人たちとだけで徒党を組んでいる人たちは

楽で、幸せなようでいて

この機会を、得られるチャンスを失っているんだな、って。

 

娘は、私がそんな風にならないように

私のお腹に宿って、生まれてきてくれて

スピリチュアルな話のわかる人たちとは異なる、たくさんの人たちとのつながりを

その存在を通して、与えてくれたのだと思います。

 

傲慢にならないように、

謙虚さを忘れないように、

目覚めていようが眠っていようが、

そこにはどんな人のどんな生き方にも

前提に愛が溢れていることを忘れないように

そして、

どんな生き方を選択している人に対しても

積み重ねてきた生き方に、敬意を払うことを

尊敬を、忘れないように。

 

私は、自分自身は母になっても自分を生きることを最優先にする生き方を選んだけれど

自分を時に犠牲にしてまで子供に尽くしてきてくれた母の生き方、生き様を心から尊敬し、感謝しているし

 

私は、家族のためというよりも、自由に自分を生きることを選ぶ人を夫として選んだけれど

家族のために、本当は自由な自分を時に殺して抑えてまで

退官のその日まで、めちゃくちゃお堅い警察官という職務をまっとうしてくれた父の生き方、選択も

心から尊敬し感謝している。

 

そしてそれは、家族だけじゃなく、

私は確かに、自分を生きること、目覚めて生きていくことについては

人よりも言えることや経験が多いのかもしれない。

 

けれどもそんな私も子供のことは全然わかっていなくって、

経験を積み重ねてきた先生だからこそ見えていること、わかること、

たくさんあって

その視点と経験に私たち家族はたくさん救われていること。

 

もっと、感謝して、敬意を感じて生きていこう、と思った。

そこにある愛に、気づけて本当に良かったと感じた。

 

そしてそれは、娘という存在が、私に与えてくれている機会(チャンス)なのだと思う。

山で仲間の修行僧たちとともに悟りを開き

そこでその仲間たちの中にこもり、山にこもったまま生きていくことはきっと簡単で、

けれども本当の悟り(目覚め)って

山を降りて、

それを知らない人たちの中に混じって、

その中でもいつも

感謝と愛を、その繋がりから見出していける生き方のことだと私は思う。

 

だから、ですね

今朝のインスタライブでもお話させていただいたのですが

会社勤めをされている方、保育士さん、お教室を運営されている方、

普通にオーラソーマも生き方のことも何も知らない方と恋愛されている方、これからまさに家庭を築いていこうとされている方

 

みなさん本当ーーーにすごいと感じるんです。

 

私たちみたいな仕事だけをしている人間よりも

(もちろんそれは役割分担であって、どっちに優劣というのではないのだけれど!)

ずっと、

ただ、ご自身の人生、ご自身の目の前の世界を愛を持って生きようとされることそれだけで

きっとそれ自体が自然と物凄いプラクティスとなっていて

そんなお一人お一人の生き方(目覚め)がものすごく

世界にたくさんの光をもたらし灯しているのだと、そう感じています🌈

 

私はたまたまこうした伝える仕事をさせてもらえているけれど

改めて、

受け取ってくださっているお一人お一人に、心からの尊敬と敬意を。

私も、皆さんからたくさんのことを学び、受け取らせてもらっています😌

 

そしてこの仕事を願わくば、続けていくことができるのならこれからも

その姿勢を、その心を

決して忘れないようにしていきたいな。

 

今日、改めて大切なことを思い出させてくれた娘の園の先生に

心からの感謝を込めて。

そして朝からたくさん泣いて、大切なことに気づく機会を与えてくれた娘にも、ありがとう。

あなたも今月は、”挑戦の月”をちゃんと生きていたのね😊💞

(そしてライブご参加の皆様、、”価値観が一回破壊される”、kin121、プルトンのテーマ、まさにな感じですね♪)

 

そして最後に、、、

今、葛藤している人がいたら、あなたも

そんなあなたもそれは、成長している証🌈

自分だけの旅を、止まるのではなく

歩み、進めていこうとしている証ですよね🌈✨

 

それでは皆さんも今日も、素敵な一日をお過ごしください✨

ここまでお読みいただき、愛と感謝と光を込めて🌈😊

 

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