こんにちは、青戸真穂です🌈

今日の音声配信(声のブログ)は

「清く正しくがんばって生きても人生が上手くいかないわけ、知っていますか?」

 

⭐「声のブログ」リンクはこちら⭐

https://stand.fm/episodes/63f81963f53781c6388ff282

 

昨日の配信に引き続き突っ込んだというか、切り込んだというか、ぶっ込んだテーマな感じがするかもしれませんが

たぶん10年前のわたしは、こういうことを知りたかったのだと思います。

綺麗事じゃなく、本当に大切なこと。

多少、痛いこともあるかもしれない、背を向けたくなるかもしれない、でも、本当のこと。

だって、それをずっと知らなかったから、ずっと一人で苦しみもがくことしかできなかったのだから。

それを知らなかったからずっと、自分だけががんばっているし苦しんでいて、なのにどうして?って

自分がどれだけ恵まれているのか、気づけなかった。知らなかったから。

何を学んだとか、何を取り入れたとか、それ以上に

痛いかもしれないことに心を開いて、知ろう、受け取ろうとして、

そうして自分の人生の糧にしていこうと本気に生きてきて、そうして今のわたしがいるから。

 

今回の音声は、きっと、

『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』

 

・・・このことわざ(古典の言葉?)の言わんとしていることまさにそれだと思っています。

知っていますか?この言葉。

意味は

「善人ですらも往生することができる(天国に行くことができる)のだから、悪人がそうなれないわけはない」

という意味です。

え?普通、逆じゃないの?(悪人ですら天国に行けるのなら、善人は当たり前、じゃないの?)と一瞬戸惑いそうですよね。

でもこれは、

善人は、自分を善人だと思いこんでいて、清く正しく生きていると思い込んでいて、でももしかしたらそれは、本当はたくさんの罪を犯しているかもしれなくて(それは実際の法的な罪ということではなく、恵まれていること、当たり前の日々に感謝を持っていない、それは、当たり前だと思っているから)

そんなふうに、自分のことが全然見えていないだけかもしれない。

対して悪人は自分が悪い人間だということをどこかでちゃんと知っていて、その罪に、自分自身に苦しんでる。

悪人(だと自分で自覚している)人のほうがもしかしたらずっと、純粋で、善なのかもしれない。

善人だと自分で自分を思っている人のほうが、気づかず悪を重ねていて、けれど自分を思い込んでいるからそれにすら気づけず

もしかしたらずっとタチが悪いのかもしれない。

 

・・・いろんな解釈がありますけどね。

わたしの父も、退官のときまで警察としてずっと働いてきて、いろんな「悪人」と言われる人たちを見てきているけれど

「刑務所の看守がいばりくさってることもあるけど、実際はその塀(檻)の中の受刑者のほうが、いろいろなことを知ってたり、人情を大事にしていたり、あべこべだなって思うこともあるよ」

と過去に言っていて、そうやって人を色眼鏡の前に見ることができる(できないときも多々あるようですが(笑))父だから

わたしの選んだ夫JOEさんのことも、父とはまったく真逆な人、真逆な人生を生きてきた人だけれど、

認め、大切に思ってくれているのかな、と感じています。親だからもちろん尊敬できるとこばかりではなく、もー!とか思うことも今でもたくさんありますけどね😅

 

だからわたしはこの古典の言葉もそういう、わたしたちに警鐘を鳴らしてくれてる、そんな愛の言葉だと、そう捉えたいなーって思っているんですよね🌈

***

ここからは、音声を聴いていただいた上でというお話になりますが

音声内で何度も伝えている「本気」っていうのはすなわち、

 

生命力。

生きる力。

生きようとする力。

 

身体のというよりも、精神的な意味としてのそれ。

 

私たちは、私たちの親や、祖父母世代が、戦後から必死で世の中を豊かにしてきてくれて

あまりに、満たされて、どれだけすでに恵まれているかに愚鈍になっているのだと思います。

もちろんそういう物質的社会的な豊かさばかりを追ってきたから今こころのほうに問題がいろいろ起きてるというのもわかるし、でもそれはいったん黙っとけやと思う。
少なくともそのことによっていろいろなものを享受して生きていることは確かなのだから、

これまでの時代を必死で生きてきた人たちの揚げ足取りばかり、アラ探しばっかしてんじゃねえ!と、

まずその愛のほうを見ろよと思うのです。

そこからしか、はじまれない。

 

「スタートラインがどんなに大変な人生環境であってもまっとうに堅実に生きてる人はいる」みたいな揚げ足取りしかできないような人もいるけれど

それって結局当事者ではない人にはなんとでも言えるという話なのです。

 

そしてわたしは今、その是非、正誤を語りたいのではなく、

そういう人たちやそういう世界が現実にあって、そうなのであれば

「ではそこからわたしたちは何を生きることのヒントとして得られるのか?

何を糧にできるのか?」

 

その人達がどうだこうだという話ではなく、

糧にしようよ。

自分の人生、生き方の。

という話をしてるんです。

 

私たちって人と比較する時、自分より良い人生を送っている(ように見える)人、自分よりもっと恵まれている(ように見える)人、

そうした自分より、言い方は適切ではないかもしれないけれど、自分より「上」と思える人のほうばかりを見ることが多いように思います。

その自分を否定することはないと思うんです(わたしだってそうだった😊)。

でも、自分自身が温かく、心地よく安心して生きていきたいのだとしたら、そうなりがちな自分に「気づく」「そんな自分を自覚し、ごまかさない」ことはとても大切だと感じています🌈

 

悪人と言われる人も、けっして心地良い人生を送っているとは言い難いですよねきっと。

だから、悪いことするのがカギなのじゃもちろんなく(誰もそんなこと思ってないと思いますが😅)

けれどそういわれているような人たちからも、言い方は、やっぱりけっして適切ではないと思うけれど

「自分よりも恵まれていない(下だ)」と思わず感じてしまう人たちのほうをもっと見てみて。

だからマシとか、だからまあそこそこにこれでいいじゃないとか、そんなふうに思うことを推奨してるわけじゃない(それはまったく推奨していない😂)

そうじゃなくて、上ばかりを見がちなわたしたちは、とても視野が狭いということ。

自分で視野を狭くし、自分で自分を苦しめている。

でも、そのほうがラクかもしれないよね。苦しいけど、ラク。

だって、いつまでも自分を被害者のようにして、弱い者のようにして、本気で生きることから逃げ続けることができるもの。

 

わたしは少なくともそうだった。

けれどそんな自分に本気じゃない生き方を、本気で捨てようとしたことが、まずわたしの人生のすべてのカギだったと思います。

 

肚座ることは経験を通してでしかできなくて、

光の中でしか生きたくないという人は、やっぱり弱いよね。

ほんとの愛と光の中を実は、生きていけない。

闇も知っているから、光の尊さを知っていて、

本気で肚を据えているから、本気でゆるりとくつろぐことができているんだよ🌈😌

優しく温かい世界を創造することができるんだよ🌈⭐

そして、ふだんはのーんびり田舎で子育てしています😆

 

どうしても本質的に大事な話ほど、えぐれる部分も出てきてしまうというか

綺麗事だけでは終われずわたしもまたどこかだんだんとドスの効いた声になってきてしまったので😂

バックミュージックはちょっとポップな(?)

都会的なバックミュージックにしてみました(笑)

 

でも、えぐれていいんだよね。えぐれて、なんぼなの。

2023年は「愛と光を生きる」がテーマとなっていること、コミュニティ内でプレゼントした音声ではお話していますが

わたしなりの本気の愛と光はきっと、えぐれる痛い部分も出てくるものなのだと思います。

それは、太陽の光が、強いからこそ育める、けれども痛いくらいに強くて、それを同時に併せ持っていることと、同じように。

それを、良いと感じてくださる方がもしいらっしゃれば、

引き続き、どうぞ宜しくおねがいします😌

 

⭐もいちどリンク貼っておきます「今日の声のブログ」⭐

https://stand.fm/episodes/63f81963f53781c6388ff282

 

 

ちなみに2023年のキーワード、宇宙的なテーマについてお話させていただいているプレゼント映像は

継続コースお申込みの方にも見ていただけるようにしているので

ご興味ある方は、ご縁がありますように😊

【募集中のメニュー】

【2023年2月2日更新】募集中のメニュー🌈

https://justmystar.com/official/menu/

 

それでは、今日も温かくしてやさしい一日をお過ごしください😊

愛と光と感謝を込めて⭐