こんにちは、青戸真穂です🌈

春分後から、本当にいろんなことが静かに加速していて

書きたいこともたくさんあって、でもとても大切だからこそ、かんたんには書けないこともとても多くって、何度もトライしては下書き保存に入ったままだったりで

なので今日は意を決して(?)幼稚園春休み中の娘を、JOEパパさんに外に遊びに連れて行ってもらって

時間をちゃんと確保して、今感じてることなど

書きたいと思います🌈

 

まずはインスタのほうに先にかんたんに投稿したので

そちらを見てほしいです💗

投稿画像と、キャプションと、それぞれ別のことを綴っているので、

少し文章量が多いけど、ぜひ読んでみてほしいなと思います💗

このブログになってからは、初めて触れるかな?

レムリアのお話です🌈

 

レムリアって?

こちらのインスタpostにて触れている通り、レムリアとはスピリチュアル的な世界の中で、かつてあったとされている古代文明、古代大陸のことです。

わたしが2020年の3月(春分)に、コロナで日本からハワイへの出入国の制限がかかる直前に滑り込むように訪れることのできたカウアイ島(ハワイ諸島の中でも最古の島)は

このレムリアのエネルギーが今の地球上でとても色濃く残っていると言われている場所のひとつです。

 

それから今住んでいる伊豆、

カウアイ島を訪れわたしがレムリアのことを思い出すことになるよりもまだ随分前の2017年に

想像したことすらなかった東京から伊豆への移住がなぜか現実のものになっていったときも

伊豆も、改めてとてもレムリアやハワイのエネルギーに近いと感じます。

半島で海も山もあり、温暖な気候、火山の噴火で出来た本土とは少し違う地層(ベース)。

そう思うと、ここに導かれたこともものすごく意味があったのだと今なら感じられる。

 

それから、それよりもっと前に、なぜか当時お世話になっていた社長さんに沖縄に誘われてJOEさんと行った時

とてもスピリチュアリティの高い旅となったことも。

 

そして当時はレムリアという言葉も、カウアイ島とレムリアの関係も、まったく知りもしないままにご縁をいただくことになるのですが

きっと多くの人がハワイに連想するイメージと同様、レムリアもまた、

自然が豊かで、愛と調和、Time is moneyではなくTime is artの価値観のとても美しい場所だったとされています。

 

そしてそこにはジャッジメントや優劣、勝ち負け、権威という価値観や意識が人々の中に無く、

それぞれがそれぞれの個性・違いを活かし、尊重しあい、感謝しあって生きていたと言われています。

 

そしてその頃は、それぞれがテレパシーや錬金術というような、いわゆるスピリチュアル的な能力を皆が開花して、自由に使いこなすことができた、と言われているんです。

 

そんな素晴らしい文明、大陸は、悲しい歴史の中で滅びてしまったと言われていて、

インスタの投稿にUPさせていただいたBさんのくださったメッセージに書かれているのはそのときのことだと思われます。

 

そして2020年の当時はわたし自身、それらのことを全く知りもしなければ、カウアイ島に集まったスピリチュアル色の強いメンバーの間でレムリアという言葉が飛び交ったり、そういった話で盛り上がる中で

まったくちんぷんかんぷん、ピンともスンとも来なければ、

むしろあまりそういった話は好きじゃないな(そのワケは、後ほど書きますね)と敬遠していたくらいのレベルでした。

 

でも、それでも前泊したオアフやカウアイにいる間に、自分の中の何か封印していた力のようなものが開いていったような感覚はものすごくあって、

そうして本当にぴったり丸一年が経った時に、”それ”はものすごく自然に思い出されました。

 

そして、それから数ヶ月後に急にオーラソーマの色のボトルを「身体に塗りたい」という衝動が止まらなくなって、

カウアイでご一緒したオーラソーマのティーチャーさんのもとに、初めてのコンサルテーションを受けに行き、

そこからは怒涛のごとく、自分自身でも驚くほどの急ピッチで、オーラソーマと出会ってからたった一年足らずで資格も取得することになり、ボトルも家にお迎えすることになり、今に至るのですが

レムリア時代の人々はライトボディ(=光の身体)がとても発達していたと言われているんですけど、

「オーラソーマ」とは、日本語に訳すと「光の身体」

なんです。

 

 

そして、インスタには、後でストーリーズのかたちでUPしようと思っているのですが、

Bさんがその「レムリア 生き残り」と検索したときに見つけてご自身を思い出したきっかけになったというネット上の記事をスクショしたものをメッセージとともに合わせて送ってくださって。

 

その画像にかかれていることを見た直後、わたしはすごく、信じられないくらい強烈な怒りが湧き出てきて、それこそ火山の噴火みたいに、

もちろんそれはBさんに対してでもその記事を書いた方に対してでもなくて、ただ、たぶんその怒りって、わたしの場合は怒りだったけれど、Bさんはホッとして思い出した、みたいに

人によって感じ方はそれぞれだけれど、レムリアの時代や過去生を思い出すための「目覚まし時計」なんだと思うんです。

 

レムリアの時代=愛と調和の時代、あり方を思い出す

そしてわたしはその強烈な怒りっていうのを、以前にも一度体験していて、

それは前のブログでは触れたことがあったんだけど(でもその記事はもう削除してしまってたぶん残っていないのだけど)

2011年の震災の後に、もともとずっと重さやしんどさを感じてた人生、それでもそれなりになんとかやってこれた自分の人生が

ホント、ドラマかな?不幸な人生の人の一生を追ったドラマの主人公か何かになったのかなわたし?

と思えるくらい、急に転がり落ちるかのようにどんどんどんどん悪化しまくっていって。

 

その時に、すごく悩んでとても怪しい(としか当時は思えなかった)「本当の自分に出会う(思い出す)」ということをやっている心のセミナーにはじめて行った時、

その代表のSさんという怪しいおじさんにはじめて会って、たった一言、本当にたった一言(しかもそれはとても普通の、別に一見なんでもないようなこと)をサラッと言われた時に

ものすごく怒りが湧き出て止まらなくなって、セミナー会場のあった場所から新宿駅まで雨の中30分くらい泣き続けて歩き続けてたぶん電車に乗ってからも必死にこらえながらも泣き続けてて

最終的に家についたときには何も飲まず食わずどころかメイクも落とさず泣きつかれて寝た、というエピソードがあって。

 

そして結果的にはその時にものすごく”何か”を感じて、そのことがあってわたしはその「本当の自分に出会う(思い出す)」ということの本セミナーに申し込んで、それが今の発信、今の仕事につながっていくことになるんですけど

 

そのときの怒りと本当にまったく同じ質のそれで、

あの時も今回もやっぱり、それは目覚まし時計だったんだって思うんです。

 

目覚まし時計というのは、わたしたち、前世や過去生のことって基本的に忘れてこの世に生まれてきていて

でも忘れることも、思い出すタイミングもわたしたち

全部自分の人生のシナリオに計画して、自分で自分に約束して生まれてきてます。

それは、↑のキャプションにも書いているけれど

覚えていないことで、あえて忘れることで、この現実の中でもがいたり、悩んだり、そういう体験をすることで人の痛みをわかるようになりたいという想い(計画)があったり、

何より、わたしも、もし最初からレムリアの記憶、過去生の記憶、覚えていたら

正直、そんなことを普通の人達に最初から真顔で話したとして、いったいどれくらいの人たちに伝わるかと言うと、本当に限られた「スピリチュアル好き」な人たちにしかその声はきっと届かなかったと思うんです。

 

ここでこのブログに今もご縁を持ってくださってる人たちっていうのは、そうじゃないですよね。

わたしが、自分でもがいて悩んでその現実の中で一歩一歩、自分を大切にすること、自分を生きること

そういう経験のひとつひとつ、そこから感じたこと、怖かったこと、苦悩したこと、試行錯誤してときには失敗したこと、、、

 

そういうことを分かち合ってきたから信頼してくれてる。コース等受けて、心を開いていてくれる。

 

それをもし最初から「めっちゃスピリチュアル的な、その業界ぽい人」でわたしがあったのなら

敬遠してしまって、そんなご縁は生まれなかったんじゃないかな。

 

・レムリアを経てこの地球に生まれてきた意味を思い出す

わたしたち、なんでレムリアを経験して、わざわざ罪悪感や悲しみや自己犠牲や、そういったものがあるエネルギーの重たい地球を選んで転生してきてるのか?と言ったら

地球に再びレムリアのような愛と調和のエネルギーを広げることを目指してきたからだと思ってます。

自分さえ良ければいいじゃなくて、この地球、この世界に今一緒に生きている人たち、

一緒に上がっていこう、愛や調和の中に溶けていこうという想いがあって、

そのことのためにあえて忘れて経験を積むということをわたしもしてきて、

その経験がある程度、計画して決めてきたMAXに達した時に、自分でもよくわからないまま(=自分の生前の計画に動かされて)

エジプトやカウアイを訪れることになっていたり、

それから一年くらいのスパンを経てオーラソーマと出会うことも、そのスパンもタイミングも全部全部計画していて。

 

Bさんとも、もがいた経験、レムリアというワードを間に挟んでいなかった頃に信頼関係が築けていたから

今、オーラソーマを経てそのワードを挟んでも「変な話」で終わってしまわない関係が築けていて、お互いにその時のことも思い出せていて。

 

そして一番大切なのは、そうやって思い出すことで、【今のその人自身】が、愛や調和のエネルギーで生きることができることなんです。

過去にご縁があったか?過去、どれだけ能力があったか?が大事なわけじゃない。

大切なのは

【今】どう生きるか?

【今】どう生きているか?

何を積み重ねている人であり、その人の人生なのか?

ということだけ。

 

わたしはオーラソーマをやっていても、未だにスピリチュアルスピリチュアルしている人や、そこで話が盛り上がることを好んではいなくて

どうしてかというと、そういう人たちはあまりに過去に拘泥しすぎているなと感じているから。

 

確かにこれが映画や漫画ならば、ハリーポッターみたいに、

今が冴えない、今がイマイチ、そんな主人公でも、ある日急に○○(なんだっけ、あの大男の名前、忘れてしまった!)がやってきて

「オマエは選ばれた子なんだよ」って

 

そして魔法学校に連れて行ってもらって、その魔法学校の校長も一目置いてくれて、

そんなふうに映画や漫画や本はなるけれど

現実っていうのはそうじゃない。

 

どれだけ過去生、立派でも、素晴らしい能力を持っていた、素晴らしいお役目を持っていた人だったとしても

ハリポタは過去生の物語じゃないけどさ

【今】を本気で真剣に生きていないなら、

誰かが「あなたはすごい」「実はあなたの人生はこんなもんじゃない」なんて

素敵な世界に連れ出してくれるわけじゃない。

 

エジプトに行った時に、それをものすごく感じたんです。

そのときのメンバーも、皆さん全然悪い人たちではなかったけれど(とても良い人たちだったけれど)

たとえば予知夢が見れる、雲の中に龍や鳳凰が見える、

そういう能力が自分があることで、

だから自分はきっと特別なんだ

だから今生でもいつかきっと何かが花開くんだ、って

そんなふうにいつか自分の人生が変わるってどこかで受け身に生きてしまってるんだ、って。

過去生はあくまで過去でしかなく、大事なのは今なのに、

過去の自分を拠り所にしすぎて依存してしまってるんだ、って【今】を真剣に生きないことの足かせに自らしてしまってるんだって、

それは、わたしはやっぱり絶対に違うと思っていて。

 

そんなわけなくて、生きているのは【今】なのだから

【今】この地球上で本気で真剣に、一所懸命自分を生きようとしなければ

どんな過去を持ってたって、ただの過去(のすごい)人。

 

逆を言えば、どれだけスピリチュアル的なことに無頓着でも、なんの過去生もレムリアも思い出すことはなくても、ご縁すらなかったとしても

【今】の人生を本気で真剣に生きている人なら

【今】【この地球】で幸せに愛の中を生きることのできる人は、

神様や運というものにも愛されるのは、その人だよ。

 

すごく、SNSもYou Tubeもものすごく発達して、スピリチュアル的な話も情報もいくらでも得られるし

サイキックの強い人もたくさん転生してきてるな、と感じるけれど、

そんなものばかり見たり聞いたりしていることに一日の大半を費やして仮りそめのワクワク、仮りそめのドキドキ、よろこび

そんなものに甘んじて、いつかわたしも、いつかいつか、、、と夢ばかり見て、自分の中の影も見たくないものも見ないのなら

ただ「いつか」と言って生きて死んでまた同じ人生を繰り返すだけ。

奇跡なんて起きようがない。

何も【今】につなげられない、何も【今】への糧にできない。

それはただの逃避だから。

 

わたしは、スピリチュアル的なことにキャイキャイ💗と騒ぐ狭い村社会みたいなものを作りたいんじゃなくて

(むしろそれは本当のスピリチュアルではないと思うんです)

目に見えないもの、スピリチュアル的なものを、この地球におろすこと、地球とレムリアの時代にもあったスピリチュアル的なパワーとの

その架け橋になりたいというか、そういう役割なのだと感じています。

 

そのためにまずは自分が光の身体を育てていくこと、そうして自分がラクに心地よくなって、自分を開花してゆくこと、

そうしたことをできる人(というかもともとそうであった人たち)の目覚まし時計的役割でありたいというか、あるのだろうなと自覚していて、

 

この世(地球)とスピリチュアル、目に見えないものの使いこなし方、レムリアの愛と調和の世界を地球に再びおろしていくこと、

そういう目的をもって生まれてきたレムリアやそれ以外の時代の同志との再会することや

改めてその本来持っているパワーを花開かせて使ってもらうこと、

そのためにこの仕事や発信を続けているのだと改めて思ったし、

Bさんも、オーラソーマをわたしがご提供しているベースの想いをたぶんエネルギーで汲み取ってくださってて、ご自身のタイミングで大切なことを思い出されてて、そのご縁として使ってもらえたこと

とても光栄に思っていて、きっとこれからBさん自身が、抱えていた恐怖を越えて愛と光とBさんの唯一無二の個性、輝きを花開いて生きていくこと、

きっとされていくんだろうなって、レムリアでしてきたことを今度はこの地球で、この肉体を通して、って

そう感じていて、とても嬉しく、わたしもまた本来の原点の想いを思い出させてもらった感じでした💗

 

 

最後に、Bさんが送ってくれたレムリアの記事の画像、ご許可いただいてブログにもUPさせていただきますね🌈

 

 

 

ちょっと、ネット上でどの記事かというのがわたしも見つけられなかったので、画像のかたちでのご紹介なのが申し訳ないなと思いつつ

(Bさんも、今回メッセージを送るにあたって再び検索をかけてくださったそうなのですが、そのときには見つからなくなってたそうです)

もしかしたら目覚めのタイミングで必要とされてる方もいるのではないかなと、

Bさんに許可いただいてUPしてみました🌈

 

これを読んでわたしの中でいきなり噴出した怒りって、自分が青い石を光らせたくて光らせたくて、そうして生きたくて、旧ブログの発信も

「自分を大切に生きる」ということ、「自分を生きる」ということ、

この青い石を光らせたい、ということだったんだと思います。

でもやっぱりわたしにもまだまだ恐怖があって、ずっと抑え込んできたことへの怒り、

そしてそれは前回の記事で触れた「娘への嫉妬」というかたちの怒りも、原点はここだったんだなって

それは、幼少期の体験とかそれ以上に

娘はもう青い石を思い切り光らせてよろこびを生きていて、それはきっと、娘が過去(生)でちゃんと自分の中の恐れ、恐怖を乗り越えて影も光に変えてきたから今があるからなのだけれど、

わたしはそんな青い石を思い切り光らせることをもう出来ている娘に嫉妬していたんだな、と。

でも、娘はそんなふうに思い切り光ることで

「ママももう光っていんだよ」「恐怖はもう手放して、ただよろこびに生きていいんだよ」って

ありのままのまるごとの姿からそうずっと見せてくれていて、わたしの怒りすらも、(まだ怒りというかたちでしか出せなかったこの4年間のわたしすらも)受け入れてくれてて、引き受けてくれてて。

昨日のセッション中、パパさんが公園に連れて行ってくれて撮ってきてくれた写真😊

 

愛だな、って思います。

わたしも娘をすごく愛しているけど、娘もすごくわたしのこと愛してくれている。

そしてその愛というのは、時に気持ち良いものだけとは限らなくて、怒りや悲しみというかたちで思い出すこと、目覚めを後押ししてくれることだってある。

 

その時に、どれだけ相手に八つ当たりして終わらせるのではなく自分のほうを見れるか?は、訓練(=プラクティス)だと思うし、

それを積み重ねていこうとする人と、わたしはご縁を持っていきたいと思っているし

オーラソーマに出逢い、とても丸くなった(?)気がするわたしだけれど、春分を越えて、

優しいだけが優しさじゃないこと、なんでも赦し受け入れることがすべてではないことも感じ

(甘えを引き出してしまうこと)

わたしもまた、そういう方たちとご縁を持っていけるわたしであれるよう

日々プラクティスを積み重ねていきたいなと改めて感じ、

コースもまた、思い出し目覚めていく人たちと、再会の場としてのそれとこれからなっていく(これまでもほとんどそうだったのだけれど、意識的にそうしていく)と感じています🌈

 

まだたった3年前だけど、すごく子供ぽい表情をしてるのは年齢的なものよりも、、狩られないように、生け捕られないように、
その恐怖から、
あえて子供っぽくして何もわからないふり、無力なふりをすることで自分を守ってたんだと思います

 

長くなったけれど、あなたの中にも埋もれてしまった、光ることへの恐怖を長らく抱えてしまったあなたの青い石も

よろこびいっぱいで光らせて生きることができますように。

恐怖を越えて、レムリアを思い出し、【今】への糧としていくことができますように。

そう祈りながら、いつかの”再会”を楽しみにしています🌈

お読みいただき感謝を込めて😊

 

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