こんにちは、青戸真穂です🌈

去る2023.3.21、春分を越えましたね💗

わたしは、とてもとても素晴らしいギフトを受け取ることができたので、そのこと

上手く書けるかわからないけど記録にも残したくて、稚拙なわかりづらい文章になってしまうかもしれないけど、書いてみたいと思います🌈

 

わたしが今年の春分にいちばん受け取ったギフトは

「娘への嫉妬が手放された」ことでした。

 

え?子供に嫉妬?ってもしかしたら思うかもしれません。

でも、わたしは思えば娘が生まれて子育てが始まってから

ずっとずっと、娘に嫉妬を感じていたのだと思うのですよね。

 

もちろん娘のことが大好きで、母として何物にも代え難い宝物、誰よりも何よりも大切でとても可愛いと思う気持ちは当たり前に本当で、

わたしはたぶん、もともとの本質的な性質として母性もとっても強い方です。

でも一方で、娘が生まれてからずっと、「もうひとりの自分」が、娘に対して嫉妬したり、怒りを感じたり。

そんな自分の存在にずっと悩んできました。

 

そのもうひとりの自分というのが、過去の記憶から来ている自分ということなんですね。

わたしは過去の自己紹介記事でも触れた通り(ああ、これもまた更新ができていない💦ほんとごめんなさい💦)

病気の姉といつも比較されてきた気がしていたし

元気で健康だからこそ、それは当たり前で、良い子に、もっと勉強ができるとか、そういう”特別”を何か持たないと

大きな病気になって、片腕も短くて、

そんなお姉ちゃんに対して、自分を母やまわりの大人に見てもらうことができない。

 

そう思ってずっと育ってきたので、自分が生き方を変えて自由を赦してゆくことで、

「自分の娘には同じような想いを持って育ってほしくない」

「もっとのびのび、そのままの自分でいいんだ」って当たり前に思って育ってほしい。

 

そう思って子育てというか、そんなにちゃんと育ててきたつもりはないけれど苦笑、

わたしは、今はこういった仕事や発信もしているし、夫JOEさんも本当に「ありのまま」を当たり前に大切にしている人で、

だから娘は最初から自由で、最初からとても「ありのまま」を愛され大切にされていて。

無事に娘もどんどん大きくなっていって、

本当に、天真爛漫というか、おかげさまで我が家の娘はとっても無邪気で明るくて、

何より本当にありのままの娘に対して、ものすごく愛がたくさん注がれていて、それでいてありのままの姿で愛を自然にまわりに与えてて

本当に、太陽、おひさまみたいな子に育ってくれています

(ほんと、わたしの子がこんなに良い子か?と思うくらい←この良い子というのは世間一般のそれというよりは、どちらかというと”愛の子”という感じかな)

先週、わたしがオンラインセッションの仕事中にばあば(わたしの母)と作ったというパン😊
インスタのハイライト「日常」にいろいろ娘の写真も載せてます💗

 

だから、そんな娘を見ていて母としてとても嬉しい。

でも、どこかでもうひとりの、小さい頃の記憶を抱えたままのわたしがずっと思ってたのです。

「わたしは赦されなかったのに。」

って。

 

娘を愛してる、本当に可愛い、

でも、わたしは小さい頃、娘のようには大きくなっていくことができなかった。

それは誰も悪くないかもしれないけれど、自分自身のその頃はもうけっして取り戻すことはできなくて、

でも娘は、最初からそれがあたりまえに与えられてる。

 

「ずるい」っていう気持ちがずっとありました。

 

こんなに、娘にどう育ってほしいかなんて決まってる、でも心の中のどこかでずっと、

赦したくない、赦されて良いはずがない、赦されて良いもんか。

 

そんな気持ちがずっとあって、娘がどんどん成長してイヤイヤも出るし、自我や意志が芽生えてくるからこそ反抗的になることに

時に烈火のごとく怒りが出て止められない自分がいました。

 

自分もそんなところがあるから、これ、この前継続コース中の方ともお話したんですけど

虐待のニュースとか、全然他人事にずっと昔から感じられなくて。(それこそ、結婚すらしてない頃から。)

そしてそういうお母さんを「意味がわからない」とか「どうしてそんなことできるんだろう」とか全然思わなくて(思えなくて)

 

きっとそのお母さんたちも、母性や愛がないわけじゃなく、

ただ、過去の記憶の自分が癒やされていなくて、とても悲しんでて、それが怒りとして爆発して自分の子供に出ちゃう。

たぶん、「自分がされたようには自分の子供にしないように子育てしたい」って

そう思ってとても健やかな愛いっぱいの子育てを実現できてる方もたくさんいると思うんです。

でもわたしはどうしてそっちの方向に行けないんだろう?とずっと自分を責める気持ち、自分を恐れる気持ちもずっとあって

そういう自分を自分にもずっと感じていて、オーラソーマのボトルと出逢って、いつかそんな自分も昇華されていったらいいなって、

昇華というのはなんとゆうのかな、

たとえるなら自分の中に取り憑いていた幽霊がいて、それが成仏して自分から抜けていく感じなんです。

 

その幽霊って、自分の記憶からの感情のこと。

 

わたしたちはそんな記憶の幽霊に、実は人生のほとんどを握らせてしまっていて、

だから、オーラソーマって、わたしのしたいことって、

そんな記憶の幽霊をひとつずつ成仏=昇華=手放し して、

本当のわたしたちを生きようねって、それはものすごいよろこびだからって、本当のわたしたちって愛しか無いからって、

それを、ずっと思ってやっていて、

でもまず、”それ”を認めることがほとんどの人ができなかったりする。

 

自分の見たくないところ、たとえば「子供に嫉妬してるんだ」とかいう醜くて汚くてどうしようもない感情を

蓋をして、たとえば「親が悪かったからわたしはこうなんだ、これはわたしの責任じゃないんだ」って、

もちろんそういう因果関係は必ずあるし、そう思うことが悪いことじゃなくて、

ただ「だから仕方ない」としてしまったとき、私たちは自分の人生を自分では切り拓いていくことができなくなってしまうんです。

誰かのせいで、過去のせいで、だから変えられないとしてしまうなら。

 

そうじゃなく、とても醜く恐ろしく、怒りや悲しみ、見たくないそういう自分をちゃんと見ること、

それが本当の自分なわけじゃないけれど、たしかに今の自分にあるのだ、と

そこをちゃんと直視することをみんな避けてしまうので、

ちゃんと直視できない(しようとしない)のなら、オーラソーマとかってかえってつらい、キツイのです。

なぜなら本当の光は、そのぶん影もハッキリくっきりと映し出すから。

 

オーラソーマがしてくれることはあくまでサポートで、影をちゃんと浮き彫りにしてくれること。

(浮き彫りにならないと何かその輪郭、カタチ、正体がはっきりしないから手放せないから)

 

オーラソーマに限らず、本当の意味で「効く」ものってみんなそうです。そこを避けて通れない。

だから一番最後はやっぱり自分で、その浮き彫りにハッキリしてもらった影を、ちゃんと見て、押しやらないこと。

 

これがやっぱりとても感覚としてわからなかったり、ある意味での本当に勇気がないとできなかったり

(そして私たちは人生でいちばん大切なこの勇気を、まったく育むことなく来てしまってるのが今の女性たちの現状だと思ってる)

だから、プロダクツを販売するだけじゃなく、単発のコンサルテーションをするでもなく、

コースというかたちを取っている今があります。

 

話が少しそれてしまいましたがわたし自身オーラソーマと出逢って約2年、

ボトルを使っていく中でその都度本当にたくさんの手放しがされていって、それは本当にものすごいことで、

でもこの、一番手放したいと思っていたものはなかなか手放すことができずに2年の月日が経ちました。

それは、やっぱりわたしたち手放すことの順番があって、

変な話、たとえるなら着替えするとき、

一番上に着てるコートを脱がないと、

下着からいきなり脱げない(手放せない)でしょう?

 

同じなんです、わたしたちたくさんの記憶、傷をまるで着ぐるみレベルで着込みまくっていて、それは本当の姿がまったく見えなくなるくらい、

まったく本当の姿で生きられなくなってるくらい

 

でも、じゃあ本当の姿取り戻しましょ、ってしても

いきなり下着が一番手放したいんで下着から脱ぎたいです、って思ってもそんなふうには残念ながらできなくて

(でも本当は残念というより、いきなり下着から脱ごうとするとそれは精神的にきつすぎるからというので私たちを守ってくれてる作用でもあるのです)

 

だから、わたしもまずコートから、次はその下のものが脱げて、その次は、、って

そんな感じの2年間を、いつかこの「下着」にたどり着くんだって

ボトル=自分の潜在意識 を【信頼】してひとつひとつ取り組んできました。

 

そして今回の春分、やっとそのときが来たのです。

たくさん、その前にネガティブなものが浮かんできてそれと対峙することはとてもきつかったけれど

(なのでコースではここを共に歩みたいということ。わたしも、今回はコミュニティで今の自分「嫉妬している自分がいる」ということ

吐露させてもらうことでたくさん支えられました。人に話す=放す こと。それだけで本当に大きな一歩、違いなのです)

 

そこを抜けた時、もう、本当に今までのあの想いはなんだったんだろう?って。

本当に本当に、純粋に娘が可愛いだけの気持ちが残って、

もちろん怒ったり注意したりすることもある、でも、

春分前のそれとは全然違うことに、わたしが一番驚いて、いちばん、いちばん嬉しくて。

 

そしてこれが嫉妬だったんだって、実は2年前のはじめてオーラソーマのボトルに出会えたときから自分の中でずっと手放したかったものだったんだって

気がつけたのも実はすごくパーフェクトなことがあって

 

たまたま春分の日にインスタで質問タイムを設けたんです

👇

 

そしたらそこで「真穂さんが最初に出逢ったボトルについてのエピソードが聞きたい」と言っていただけて

わたしが最初に出逢ったボトルとそのエピソード、、、なんだったろう??って、過去の、今は非公開になってるブログ記事など探してみたんです

(さっきの例えで言うなら、きぐるみを一度脱いでしまうと、着ていたもののことを、あんなに悩んでいたのにもう忘れてしまうんです。

なぜならやっぱりそれって自分の本体じゃないから、手放すともう記憶に残らなくなるくらい。

なのでもう忘れてるギフト、実はたくさんあると思います)

 

そしたら、この「娘に嫉妬してる」ということに気がついた、そしてこのファーストボトルのテーマに

「ジェラシーを越えていく」というものがあって、そのシンクロと想いが当時のブログに記録されていて。

 

その頃は「気がついた」までだったけれど、2年の時を経てやっと手放せたんだと、

そもそもその時の気持ち、気づきを思い出させてもらう質問をいただけた、そんな流れもめちゃくちゃパーフェクト、宇宙の采配だったとしか思えなくて、驚いたし、やっぱりこういう流れも含めて大丈夫しかないんだな、と。

(ご質問くださったAさん、ありがとうございます❣)

 

※ちなみに、最初に出逢ったボトルとのエピソードは他にもあって、

そのことはこちらの投稿にて綴ったので

よかったら御覧くださいね🌈

インスタ、フォロー&いいね大歓迎です⭐
(ただ投稿内にて募集している単発コンサルテーションは伊東市内にお住まいの方に限らせていただいてますこと、どうかご了承下さい🌈)

👇

 

そしてもうひとつ。

これは、今コースを受けてくれてる方が学校の保健室の先生で

そんなこともあってお話うんうんととても共感しながらしたりしたのですが、私の中に自分の過去からの怒りだけじゃなく

「こんなに、ありのままだけを受け入れてしまっていいのだろうか」。

そんな恐れもあったように思うんです。

 

なぜなら”そうはいっても世の中、大変なこともあるんだから”とか

”世の中、これから生きていくこと、そんなに甘いもんじゃないんだから”とか。

だから、強く、もっと世の中しんどいこともあるんだって、慣れさせなきゃとか、そういう経験もさせなきゃとか、

家庭内であまりにもありのままを受け入れすぎてしまうと、世の中にこれから出ていった時にギャップが大きすぎるんじゃないか?とか

だから大好きばっかり、甘いことばっかりしちゃダメだとか。

(コースを受けてくださってるクライアントさんも、保健室に来る子達を受け入れたい気持ちと、そんな恐れ、迷いがあったと話してくれました。)

 

でもこれ、本当に?

本当に世の中ってそんな世界なの?

 

もしそれが今本当になってしまってるのなら

そんな”本当”が、そもそもおかしいよ。

 

私たち大人がそもそも

そんな現実を受け入れていること、

そこをもう、変えてかなきゃいけない。

 

ただそう私たち思い込まされてきただけ。

だったら、私たちが生き方で、その人生で示してあげなきゃ。

「大丈夫なんだよ」って、

弱くたって、凸凹いっぱいあったって、繊細だって、愛を信じて、それで大丈夫なんだって。

世界ってじんせいって本当は優しくて温かいものなんだって。

そうやってわたしは生きてこれたよって、それを背中で示せる大人に私たちがなればいい。

 

コース受講してくれてる保健室の先生も、心からそう思えるようになったって、何が本当に子どもたちのためになるんだろ?(受け入れること?それとも厳しく教室に追い返したほうが良い?)ってずっと迷って悩んできたけど

もう決めましたって、その自分で生きます、って

すごくお顔が晴れやかになって、そんなクライアントさんに私も背中を押されてやっと過去の自分を抱きしめてさよならできた気がします🌈

 

そしてそんな春分を越えた翌日の昨日は

教材を購入してくださったあるママさんから

こんな素敵なメッセージをいただきました🌈

👇

青戸真穂様

こんにちは☀️
春分を迎えあたたかくなってきましたが、真穂さん、御家族様ともにお元気にお過ごしでしょうか😌

先日はお忙しい中、オーラソーマのボトルの発送ありがとうございました。
宅急便の配達員さんから箱を受け取り、真穂さんの字で書かれた伝票を見た瞬間、とてもあたたかい気持ちになり心がホッとゆるんだことが忘れられません。
お手紙も心が込められていることをすごく感じて「嬉しい…涙」と、ひたすら感動しました。
ご丁寧にありがとうございました。

そしてボトルさんを初めて見た時はあまりの美しさにとても驚きました😳✨
美しいボトルさんを眺めているだけでも、本当にハートが喜んでいる感じがしまして😌💗
今ではすっかり我が子のように愛おしい気持ちで眺めています。

届いたその日から身体に塗っているのですが、色々な言葉が降りてきたり、(初回に塗った時に降りてきたり言葉は“あなたは大丈夫”でした😌)

ずっと心の奥底に気付いてもらえなかった、でも確かに自分が感じていた気持ち(母に抱きしめてもらいたいという気持ち)を救い出して、素直に感じることをゆるしていいんだなと思えました。

今まで親や兄弟のことで色々とあり、ずっと家族がコンプレックスでした。
でもボトルさんを使っていると、不思議と父と母の愛情を思い出すことが増えたような気がしていて。
というより、思い出すきっかけとなるような出来事が目の前に現れるというようなことが何回かありました😳

こういうことが起こるというのは、ボトルさんを塗ったことによることで出会えたことなのかな?とか、自分に今何が起きているのかな?など疑問が色々と出てきており😅
あまり自分一人で分かったような気になりたくないなという気持ちもあり、どこかのタイミングでお代金をお支払いして真穂さんにフォローなどお願いしたいなと思っていました。
(それと3.11前後は少し心が乱れてしまい、塗ってもハートが落ち着かなかったりというようなこともありましたので😔)

 

なんだか、山盛りモリモリにいろんなこと詰め込んで書いてしまいましたが

みんなつながっているんだな、って改めて。

特にその繋がり方が、春分を越えてますます加速したように思います。

あなたとも、いつか繋がれたら。ご縁を持てて、いつか、あなたもこんなふうにきぐるみを脱いでいって本当の自分を思い出していく、

そんなことの何にも代え難いよろこびを、心から体感してもらえたら、そのお役に立てたら。

とてもうれしく思います🌈

👇

【募集中のメニュー】

【2023年3月19日更新】募集中のメニュー🌈

https://justmystar.com/official/menu/

 

なかなかPCに向かえないことも多いので、インスタでいろいろと配信していますので(ストーリーズにも!)、

そちらもぜひ御覧くださいね😌

@aotomaho_itocity

 

長くなりましたが、今日は少し勇気を出してわたし自身の手放し、綴らせていただきました🌈

ここまでお読みくださり感謝を込めて。

それでは、また❣