こんにちは、青戸真穂です🌈

今日は、13の月の暦の上では、新しい銀河スピンのはじまりの日(kin1)

数日前よりご案内しておりましたオンラインコミュニティカレッジがスタートしましたよ〜😊

 

今日は、プレゼント動画の第一弾の配信と、

kin(1)賀新年おめでとう〜♪ということで、そのお話と、

それがどういうことか?というのはよくわからなくても、こんなふうに生かしていったらいいとわたしは思っているよ、というようなお話をライブでさせていただきました😊

 

コミュニティの場所となっている @justwomanandstarのアカウントは非公開&プロフィールも無記入としているので

投稿やストーリーはもちろんながら、参加されてるメンバーさんのアカウントなどもまったく公開されませんので

コミュニティの対象者さんは卒業生&オンライン動画教材購入者さんに限定していますが

そのあたりのことが気になる方もお気軽にご参加くださいね😊

 

それとは逆に、コースや、オンライン動画教材や、セッションのフォローや、コンサルテーションや、プロダクツのご購入など、

もちろんそれぞれ分かち合いたいなと、良いと感じることを誇りをもってさせていただいていますが

それぞれにいろいろなかたち(サービス)があるので、

ご無理なく、皆さまそれぞれが良いなとか使いたいなと思うものを通して

「自分を生きる」ということ「自分を思い出す」ということ、

そのプロセスを積み重ねていってもらえればと思っているので😊

 

引き続き、それぞれのピンと来られるもので、ピンとくるタイミングにつながっていただけたら十分ありがたく、また、光栄に思っておりますので⭐

そんな感じで、新しい銀河のサイクルでも、皆さまどうぞ宜しくおねがいします😊💕

 

さて、そんな銀河のお正月(?)的な今日はコミュニティのスタートとともに、以前からこれも手を付けたい!と思っていた

自己紹介

 

このブログからつながってくださっている方はもちろんのこと、

今までちゃんとした自己紹介をずーっとしてこないで今日まで来てしまったので、、一度やりかけ、挫折しました😂

すこーしずつ、今のわたしから振り返っての自己紹介記事を

ざっくりとですが綴っていきたいと思います😊

まずは幼少期編から〜♪

 

***

えっとまず(自己紹介の入り方がわからず若干戸惑う。笑)、

わたしは神奈川で生まれ育ちまして、

姉・わたし・弟の3きょうだいの真ん中に生まれまして、姉とは3歳、弟とは7歳の年の差があります💡

 

それで、弟がまだ生まれる前、わたしが3歳の頃、姉が小学校1年生になりたての頃に、これはブログでも何度か書いていることなんですが、姉が小児がんになったんです。

姉のなった小児がんは、小児がんの中でも更に特殊なユーイング肉腫というもので、

その頃、当時の看護師さんがこの病気に関して言っていたのは「5年生存率が3%」

(あくまで当時の、一看護師さんの言っていた話です☀)

そんな病気にかかったことにすぐ気がつけなくて、最初は、腕が痛い痛いって姉がすごく泣くようになって、母はいろんな病院を回ったけれど、どのお医者さんも「全然異常なし」と言われてしまったそうです。

それで発見が遅れたというのもあって、

母は最初から、やっぱり、ほぼ助からないって言われるような命にかかわる病気に子供がなったというのももちろんショックだし、自分のせいではないかというのもあって、すごくショックだったし自分のことも責めていたと思うんですよね。

ある程度大きくなってから(と言ってもまだ小学生、中学生くらいの頃)、

もう治らないだろうに姉がつらい治療を続けることが母は本当に苦しくて

母が、わたしと姉と三人でもう死んでしまってもいいかな、と

何度か思ったことがあったということを聞きました。

 

その後、本当に運良く、父の知り合いの方のご紹介で、小児がんの治療についてとてもたくさんの経験を持ってらっしゃる、

聖路加国際病院の細谷先生という方が熱心に転院を勧めてくださり(この頃の両親はもうどうせ治らないならと、治療自体も放棄して、少しでも家族で穏やかな時間を過ごしたい、という感じだったようでした)

余談ですがそんな姉のことは、こちらの書籍にて細谷先生が少しですが綴ってくれています😊

https://bookmeter.com/books/241430

 

人生って、どんな人と出会うか、出会えるか、

そんなご縁で大きく変わるということ、人と人の出逢いとめぐり合わせの奇跡など

たぶんこの頃からとても不思議な、でも何か目に見えないものがそこに働いていることを感じていて、

わたしが人と、心を通して深くつながる仕事を求めたのも、それを(医療という分野で)されている良い先生・ドクターたちに出会えることが家族単位で多かったからかもしれません。

こんなふうでありたいなあと感じる、本当に素敵な先生です😊

 

そして、そんな大きな病気に家族がなることで、家族がたくさんぶつかって、姉ともたくさんの確執がのちのち生まれて、わたしもたくさん迷い、傷ついて、傷つけて、

でも結果的に、そんな家族みんなにとって縁ある聖路加国際病院で姉は無事に結婚式を挙げ、難しいと言われてた子供を授かることが、2人もできて、

わたしもまた、世界でいちばん大嫌い(になってしまった・苦笑)当時の姉のおかげで今の旦那さんと、この結婚式の際に出逢い、

自分もまた数年後、その聖路加の教会で式を挙げることができるようになること、

そんな素晴らしい未来があることを知るのは、まだもう少し先の話になります😌

 

 

話が戻って、たぶん当時

家の中の空気も重たさや「死」を感じることもすごく多かったと思うし、わたしは父と過ごすことが多くて、伊豆の祖父母の家に一人で預けられたり。

でもそのぶんとても父や祖父母からは可愛がってもらったりしていたので、

たぶん、その頃はまだ3歳とか4歳とかで、周りの状況がどうであっても天真爛漫でいたのかなと思います😊

 

これは自分が親になって、自分が子育てをしはじめて気がついたことなのですが

娘(*2023年現在4歳)を見ていても、この頃の時期ってすごい陽の気がまだまだ強く持っているので、親が精神的に不安定であったり、周りが暗かったり重かったりしても、そこに目をかけてくれる人がいれば、

比較的明るくほがらかに育つものなんだと思うんです。

 

だから、親や、周りの大人が「お母さんとお姉ちゃんは大変だから、良い子にしていて偉いね」とか、

「今日もお姉ちゃんのためにお祈りしようね」とか(当時わたしは保育園〜キリスト教の幼稚園に通ってたので、寝る前に毎日姉のためにお祈りしてたんです〜我ながらなんて良い子。)

そういうことって、周りの大人は良かれと思って言ってくれたり、褒めてくれたりしていたと思うんですけど、今、自分が親になって子育てしていると思うことは

子供ってすごく無限大に愛を持っていて、まっすぐだからこそ、そういったかたちで

「こうしているあなたが良い子だよ」と条件付きに(たとえそれが無意識でも)褒めたりその子を認めたりしていると

子供って、その期待に応えることが自分の良いところなんだ!って純粋に錯覚してしまうところがあるのだということ💫

 

わたしもまた、その頃は自分のことをもっとかまってほしいという気持ちはきっとあまり無くて、

・自分が良い子にしていると、大好きなお母さんによろこんでもらえる💕=わたしは、一人でも大丈夫なのがわたしの良いところ💕

とか、

姉はその後、完治はしたのですが左手が短い障害が残って、それから、放射線治療が続いて長らくカツラで過ごしていたので

(当時のカツラって、本当にTHE・カツラ!て感じなんです。すぐそれとわかっちゃう感じ)男の子とかにからかわれていじめられることも多くって、

・お姉ちゃんがいじめられたら、わたしが守ってあげるんだ❣=お姉ちゃんを守ってあげられるのがわたしの良いところ❣

などなど(その頃はまだ、姉に対してそんな気持ちを持てていた😅)

”そこ”を自分の存在価値と思い込んでしまったと思うんですよね。

 

そうしてそのときは、親や周りの大人に褒められて、認められて、

姉からも頼りにされて、自分の気持や自尊心も満たされて、それで一見良いのだけれど、

年を経るごとに、たとえば姉の病気が治って、日常が戻ってくると、、、

 

わたしはもう「親と離れて暮らしている」という「特別がんばっている良い子」ではなくなるし、

姉もふつうに生活できるようになっていって、わたしが守る必要もなくなっていくんですよね。当たり前なのだけれど。

 

そうなっていったときに、わたし、たぶん、焦りだけが残ったような気がするんです。

 

「わたしは”良い子”でいることに価値があるのに、

その出番(価値)がどんどんなくなっていく」って。

 

そして後に、中学生くらいの頃かな?

この本に出逢って、「きょうだい児」という立場を知ります。

http://www.nursing.med.tohoku.ac.jp/education/student/class/files/siblings.pdf

(リンク先から、PDFで全文紹介してくださっているので、ご興味ある方はぜひ御覧ください🌈そしてもし、周囲に同じような立場になってしまっている”きょうだい”の子がいたときには、温かく見守ってあげてくださいね😌)

 

そんな「きょうだい児」という立場だった自分のことを客観的に知った時、

やっぱり、そうはいっても姉には手に障害があって、わたしは普通の元気な子なので、

特に母がわたしよりも姉を気にかけることはやっぱりどうしても多くって

そのことが、のちのち「気にかける、手をかける量=愛情の差」と思い込むようになって、だんだんと

天真爛漫だっただけのわたしに影ができていくようになったと思います。

 

あと、どこの家でもきっと多かれ少なかれ同じようなことがあると思うのですが、母と父方の祖母があまり良い関係ではなくて、

わたしは性格も容姿もどちらかというと父方の系統をすごく引き継いでいて、母がわたしのそういうところを

「真穂はあっちのおばあちゃんのこういうところそっくり。」と(すごーく嫌な感じで)言うことも多くって、

 

今振り返れば、母は姉の病気の頃からもう本当に大変で、たくさん、心も病んで当然だったと思うし、

その怒りや悲しみや、イライラした気持ちを、

仕事で忙しい父にはやっぱりなかなか当てられなくて、わたしに当てることが比較的多かったのかもと思います🍀

 

少し大きくなって、アダルトチルドレンという言葉を知ったのですが、

わたしが今、女性に向けて、女性だからこそ、という生き方やあり方の大切さ、

まず女性が自分の心と向きあう、なにかそこにあるのなら昇華していくことの大切さ、

伝えているのはそういう背景があったからで、

かつてのわたしのように”病気のきょうだいがいた”とか、そういう特異な状況じゃなくても。。。

 

日本の社会特有の構造というのかな、

結婚=嫁に入る=家と家との結婚、とかね、そうして母親が一人で悩むことが多かったり、

やっぱり、今もまだまだだし、当時はもっと、女性が子育て、家のことを全部の責任を感じて全うするのが当たり前だったり、

それゆえに母親に負荷が溜まって、でも、父親は外に出て働くことが良いこと、というような風潮もきっと昔はもっと強くて、

なかなか夫婦間でその心に溜まってゆくものを、女性が、吐き出す場もなくて、

そうするとやっぱり、向かう先はどうしてもその子供に対して、になってしまうこと。

 

そしてその子供がまた大人になったときに、自分の子供にその連鎖をしてしまったり、

それ以前に、恋愛や社会に出たときに上手く対応できずに躓いてしまったりする、マイナスな連鎖の構造など。。

 

けっして特別な境遇ではなくても、多くの人が、そういった構造の中で育てば、傷や重さを持ってそのまま大きくなり、

生きづらさを感じる人が出ることは、けっして珍しいことではないんです。

そんな中で育ったらまあほとんどの人は何かしら抱えるようになるよね!という。。。

 

だからこそ、そうならないために、

女性は何もしなくても、

がんばることよりも、ただ、ありのままの自分を赦し、受け入れられるようになることがいちばん大切なんだよ、ということ。

 

だって、今振り返って自分の母親に思いませんか?

多少、家事育児、手を抜いたっていい、

そんなに”がんばる”ことで、”我慢する”ことで自分を追い詰めて、

そのために、子供(当時の自分)にそのつらさの矛先が、愛情のかたちが歪んで、行ってしまっていたのだとしたら

もっと、ただ笑ってくれていたら良かったよ、って。

 

だったら、大人の女性になったわたしたちが”今”、そう在らなくちゃ。

 

そしてそのためには、”今”のわたしたちの心の中にある”何か”を

「我慢する」のでも「頭に言い聞かせることで蓋をして、解決したことにしようとする」のでも「無理やりポジティブシンキングする」のでもなく、

別の、本当の意味での解決。

それを、きちんと知って、手をつけていかなくちゃいけないと思っているんです😌💫

 

そして、それは必ず、誰にでも必ず実現できることだし、そしてそうしていけば人生もまた、自然と心地よいものになってゆくということ、

伝えたくてこの仕事を今、しています😊

 

わたしの場合、そんなふうに心に手を付けて、変に外側の何かをがんばるのではなく、

きちんと自分と向き合い、自分を生きることを大切に積み重ねていった結果、

今は、かつてはあんなにがんばっていること、何かをしていることでしか価値を感じられなかった、自分を赦せなかったわたしが、

結婚して、母になってからも、家族を巻き込んでエジプトやハワイに出かけたり

(ハワイ時はまだ1歳3ヶ月の娘さん、断乳せずに自然に乳離れもし、10日間もパパと二人きりで過ごしてもらいましたが、ずーっとご機嫌で過ごしていました😊)

今も旦那さんに仕事も、家事も、子育ても、その多くを担ってもらいながら、両親のサポートもたくさん受け(それを、ありのままのわたしで受け取ることを赦せて)

「ただ、わたしがありのままのわたしで存在していて、

しあわせで、笑顔でいることが家族のよろこび(しあわせ)」

今は心から思えて、自分にくつろげるようになっていきました🌈

 

 

そんなことは、わたしにとっては何よりもの奇跡なんですよね。

そして、そんな奇跡は絶対に、すべての女性が、どんな生い立ち、どんな過去を持っていても、得ていくことのできるものなんだ、ということ。

 

いろいろお話飛びつつ、でしたが、幼少期編は、こんなところとして

次回は、そんなふうに、わたしが

「ありのままの自分を愛せない→なにか、価値ある自分になろうとがんばる→がんばるとますます苦しい(そしてそのわりに人生が上手くいかない・・)」

というネガティブな連鎖のサイクルから抜け出すきっかけになったこと、

社会人編(?)人生を変えることになった出逢い編、を書きますね〜😊

まずはここまで長文お読みいただき感謝を込めて⭐

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