こんにちは、青戸真穂です🌈
久しぶりにPCでこちらのブログを開いてみてびっくり、
なんと最後の更新は1月の半ばとなり
もう1ヶ月半も更新をしていなかったのですね💦
この春に娘が幼稚園を卒園、小学校に入学する予定となっていて
現在はお仕事は既存のお客様へのフォローと、プライベートは家庭と母業を中心に生活しています。
2月はあっという間に過ぎてしまったなあ、、という感覚があったものの
日記を振り返ると2月は1日から、卒園式で着るための着物を見せてもらいに
調布に住む叔母さんの家に娘と二人で泊まりにでかけたり
途中、新宿のシナモロールカフェに行きました😊
そのあとすぐに、弟の2度めの一時帰国からの、現地でできた友人のピーターさんが伊豆に遊びにきてくれたり
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バレンタインは、叔母さんのうちで食べさせてもらった手作りの豆腐のチョコテリーヌがとても美味しくって
レシピを教えてもらって家でも作ったり
大好きな男の子(💕)がいる娘にも何かさせてあげたいなと
娘と預かり保育が終わった帰り道
ドラッグストアと100均に立ち寄って材料を買い込み、土日に一緒に源氏パイにデコしたり

娘さん、がんばりました!😊✨

大好きな叔父ちゃんにもできたてをハイどうぞ〜😊叔父ちゃんは無事に2月末にニュージーランドに戻りました🇳🇿

ラッピングしたら、それなりに素敵になったと思いませんか😊💕
娘の通う幼稚園は私立だからなのか、行事や取り組みが本当に充実していて
それが卒園に向けて更に色濃くなり
幼稚園からこんな手紙を送ってくれたり

おしごとのことを書いてくれたことに、かなりジーンとしてしまいました。。。😭
往復はがきで届き、それに◯日までに返信を!との幼稚園からの連絡に、私もがんばってお返事を書き

肝心の「ままがおしごとがんばれるのはあーちゃんのおかげだよ💕」というのを書くのを忘れてしまいました😂
あとは1月から異なる種類の保育参観が3つ立て続けにあり😅

これは剣道参観の時のもの。瞑想(迷走?)中の娘さん😅
小学校が別々になってしまうお友達を中心に遊びに出かけたり
お別れ遠足のお弁当つくりを楽しんでみたり

あとは残りの時間は、娘の幼稚園では卒園アルバム(あの分厚い元祖、のものです)を母が手作りというならわし(?)があり
ひたすらその制作に没頭していました😊💦

そして昨日はお雛祭りだったので
お雛様弁当を作り、ちらし寿司を作り、今朝はこんな投稿をしました🌈
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投稿内で触れたとおりですが
13年前に出会い、一度心と人生に大きなあたたかい奇跡を与えてくれた「本当の自分」を深めていく学びから離れている間
娘を授かり
幸せいっぱいなはずが、最初の数年間はいわゆる母業について取り組むことに
とことんまでに背を向け続けていた時期がありました。
子育てや家のこと、いわゆる母業って、なんというのかな、
日本語の使い方が少し違うかもしれませんが「日の目を見ない」とも言えるような
どれだけ心を込めて丁寧に取り組んだとしても、
お仕事のように目に見えて誰かに認めてもらえる、評価してもらえる、わかってもらえるものでもなく
どれだけやってもひたすらに終わりがなく、
自分で自分を「よし!よくやった!」「いいね!」と褒めていくというか、気持ちを自分で上げていかないととてもじゃないけれどやっていられないというような
そんなことばかりだと思います。
お仕事のほうが、金銭という目に見えるかたちで評価を得やすいし
人にも感謝してもらえる、
自分でも納得感がある。
だから、仕事のほうがいい。
投稿に書いた通り、そんな思考回路に至ってしまっていたのは
”理想の母(母親の鏡)”といえるくらい自分の母が本当に家庭的な人、子供ファーストな人だったので
そこまで私はできない!という想いからでもあったと想いますが
もう一つは、自分で自分を認めたり、自分で自分の目の前の世界によろこびや楽しさを見出すことができなかった
そんな私だったからというのも大きかったかと想います。
けれど今、これも投稿に書いたとおりですが
娘の母として行う、行わなければならない様々なことのひとつひとつが
愛おしく、楽しく、よろこびに溢れた宝物のようなもの、と心から感じられます✨
もちろん大変なこと、手を抜きたくなること、そして抜くときも、たくさんたくさんありますよ😊
でもやっぱり、圧倒的に「よろこび」が大きくなったのです✨
たとえばお別れ遠足のお弁当を作ることひとつ、
ひな祭りという行事ひとつ、
「どうしたってしなくてはいけない」ことの中で
「よろこび・楽しみ」を自ら創り出せるようになってきたこと。
私にとっては本当に大きな奇跡(変化)です✨

これも、娘にはサプライズで作りました✨「よろこんでくれるかな?😊」というワクワクした気持ちが、娘から逆によろこびをもらっているのだと想います🌈
そしてそんなよろこびに出会えたのは
紛れもなく「しなくてはならないことのある環境」を作ってくれた娘のおかげだと気付かされます。
今って、
「したくないことをしないこと、それがご自愛」
「母だって女だって、自由でいたい!自分を一番にしていい!」なんていう考え方もありますよね。
実際のところ、「本当の自分」を深めていく学びから離れていて、そして娘の母としてのすべきことにも背を向けて旦那さんにすべてを押し付けていた頃、夢中になっていた(つもりでいた)仕事について学んでいた頃
その当時、教えを仰いでいた先生がまさにそういった考え方の方でした。
「母親が、自分に可愛い服を着せてくれたけど、私はもっとただ母に綺麗でご機嫌でいてほしかった」
「だから今のお母さんたちも、なるべく家のことは外注にして、もっと子供のことはあまり気にせず外に出て自由にしたほうがいいのよ」
その先生は結婚されたことがなく、お子さんもいらっしゃらず、パートナーもいらっしゃらなかったのですが
いつもとても綺麗にしていて、扱う商品もとても美しいものだったので
お金もしっかりと稼いで、何より家庭を持っていない自由さを謳歌されているようにも当時の私には映って、
そんな言葉を学びの会で集まるたびに聞くにつけ、
本当にそうだな、と、私もそんなお母さんを目指そう、とますます「自分のしたいことをする=自分を生きる」だと捉えて仕事(学び)にのめり込んでいきました。
でもその先生との関係性が深まっていくにつれ、
この人は本当は、独りがさみしくて、
それを埋めるように、「自分の人生の選択は間違っていなかった」とどこか言い聞かせてお仕事されているのじゃないかな、
だからどこか、自分の生徒に、疑似家族的な心のつながりや、
自分の思う通りになってほしい(そう無意識で子供に求めてしまう親がいるように)のじゃないかな。
そんなふうに感じることが増えていって段々と私にとってはお付き合いが苦しくなってきてしまい
すごく悩んだ末にそこでの学びを離れていきました。
それから少しの期間は、暗中模索ののち、
決して美しくもなければ華やかでもないけれど(苦笑)
でも「あたたかい」し「やさしい」(いわゆる仲良しこよし、ベタベタしているっていうことではありません😌)
何より私をいつも自由にさせてくれる、愛という名でこちらをコントロールしようとしたり、思い通りにしようとしたり
心を縛ることのない
「本当の自分」を伝え続けてくれている佐藤さんからの学びを7,8年ぶりに再開し、
ありがたいことに求めてくださる方がいらして
それがすぐに仕事になり、今に至ります。
そうすると自然と、自分の好きなことばかりできる自由を求めて、したくないことをしないでいられる自由を求めてばかりだった私が
眼の前の、しなくてはいけないことの中に、愛やよろこびを見いだせる自分になっていけるようになったんです。
そして私の母が、どれだけ自分の着るものや身につけるものは切り詰めて
それよりも私達に美味しいごはんを作ってくれたこと。
教養を与えてくれたこと。
いそがしくても必ずお雛様を出し、片付けてくれたこと。
毎年、なぜか必ずお雛祭りにはシュークリームを手作りしてくれたこと。
そのことの中に、どれだけの愛が埋もれていたのか
私自身もまた、感じられるようになってゆきました。
今となってはその当時の先生とのご縁がなければ「本当の自分」に戻ってこれることもなかったと思いますし
やっぱり、私も先生に愛を求めて依存していた部分も多々あったかと
そんな頃の私は先生にとってもおつらかったかと思います😊💦
ただ、
「ママがご機嫌でいるほうが、綺麗でいるほうが、無理してるよりもずっと嬉しかった(だからもっとこれからの母親はその逆をいったほうがいい)」
という当時の何度も伺っていた言葉は、
もしかしたら自分のお母さんを勝手に可哀想な存在にしていて、そんな過去の記憶に振り回されていて
「こんな愛よりも、こんな愛が欲しかった。」
未だに、年をいくつも重ねても、言い方はあまり適切ではないかもしれませんが
愛の内容をより好みしてしまっているような、
そんな子供の頃の想いを後生大事にして、それが本当の本当に大事に抱えていきたい想いではないかもしれないのに
それを原点・根っことして
すべての人生の選択を決めてしまっているの”かも”しれません。
そうすると、表面的には何かに成功し、
人から見たときに、「この人は自由で、好きなことをできていて、うらやましいな。輝いているな。華やかだな。」とどれだけ思ってもらえるような人生を得られたとしても、
自分の中で、自由や人とのつながりを過度に求めすぎたり囲い込んだりすることがなくても心から安心できたり
ただ自分にくつろいで、ホッとした気持ちで生きていく…
そういうかたちでの幸せというのは、感じられにくくなってしまうのかもしれません。
そして外に出ていかないと、何か発信していないと人の役に立てない、ということもなくて
これは佐藤さんの言葉ですが
本当の自分を深めていくことは自分が光る灯台になることで
灯台が自分の足元(=自分や自分の家族だけ)ばかりを照らしていても、それはエゴになってしまって遠くの人に光を分かち合えないですよね、って
だけれど人のため人のためと外にばかり光を届けようとすると
家族や自分がないがしろになってしまう
まさに娘が幼稚園に入りたてのころの私はこの両方の状態を行ったり来たりしていたように想います。
でも今は、
灯台である自分そのものが光っていく。
そうしたら、近い人から照らされていく、と
私は今、娘の子育てに関わる様々なことを本当に心から楽しめていて(繰り返しになりますが、本当に大変なことももちろんありますよ!😊💦)
でもそこにくつろいでいられるようになったのは、
その経験、そのわたしそのままで
それが誰かの光になれる、と感じられているからだと思います。
本当に不思議なもので実際のところ
何をどれだけ家庭のことに終止していても、↑に投稿したピーターさんとの出会いのように
”犬も歩けば棒に当たる”が如く、
ただ私の今目の前のよろこびを生きているだけで
必ず人とも分かち合えるような気付きや学びがそこここに隠れていて、必ずそれにぶち当たる、もとい、出会えるのです。
”私がありのままの私と、私の目の前の世界にくつろいでいることで
それが誰かの笑顔やよろこびにつながれたら”。
娘のお弁当を作るときも、お仕事をするときも
まったく同じ気持ちでありたい。
そして私の場合は家庭や娘のことですが
結婚されている方も、独身の方でも
お子さんがいてもいなくても、どんな立場の方もそんなふうに、
気張らなくても、助け助けられ、支え支えられて生きていけるんだということを伝えたくて
それを知ってほしくて
なので私の仕事は、何かのサービスというよりも
”そんなわたしの人生そのものをよろこびで生きること。”
それが本来の仕事だと思っているのです。
長くなりましたがなのでしばらくは無理をせず家庭ファーストで、
そこから漏れ出る光をもし求めてくださる方がいるのなら
こんな私で良ければ、こんな私でもお役に立てるならば、
どうぞ使ってください🌈
そんなあなたにありがとう✨
そんな気持ちです✨
また、この卒園入学ラッシュが落ち着いたら、準備ができ次第、
プレゼントセッション企画は終了し、有料のご案内とさせていただきます😌🙏
(たとえばセッションはセッションとして11000円しっかりといただいて、
受けていただいたあと、もし支部に入っていただける方には全額支部会費の11000円にまるごとあてていただくことでプラマイゼロとしてもらえるような、
今のところそんなイメージです)
写真も多く、本当に長くなってしまいましたが
ここまでお読みくださり心からの感謝を込めて😌🙏✨
プレゼントセッションの企画や支部の詳細は以下ページをご確認くださいね。