こんにちは、青戸真穂です😊
昨日、無事に娘の幼稚園の卒園アルバムを提出でき
☆卒園アルバムについては前回の記事にて😊💦☆
https://justmystar.com/2025ohinamaturi/
今日からは確定申告、そして卒園式、入学式に向かってまだまだやることはありつつも、
久しぶりに少しホッと胸をなでおろして迎えることができた今朝です😊
ここのところ、何かしらの締切ややらなくてはいけないことに追われる中で
それでも日々少しでも「本当の自分」に焦点を当てて生きていきたいな、と
そんな想いで朝の数分だけ書き出しているのが
「本当の自分(真我)に出会って起きた奇跡」
というワークです🌈
これは文字通り、本当の自分(真我)に出会ったことで自分に起きた奇跡と思われること、を書き出すのですが
何かを得るためにとか、幸せになるため、良くなるためにやる、というよりも、
ただやっているだけで
感じられること受け取れるものが本当に天と地ほどの差くらい「ちがう」と今でも心から感じるので
「一日のほんの数分、
やらずにはとてももったいない」
と感じるワークなのです😊
そしてこれは、まだ「本当の自分」を深め始めてから1年も経たない支部メンバーさんであっても
本当によくおっしゃってくださることなんです✨
「ただこの心で生きれたらもうそれが幸せ」
「もっと早く(本当の自分とであうことを)始めていればよかったなあと思うくらい(それくらい、それまでとは全然違う)」
と
皆さん、だから「本当の自分」に焦点を当てていくこと、
それぞれの環境の中、無理しない範囲で続けてくださっているのだな、と思います😊✨
それで、私はもう「本当の自分」と出会ってから13年も経つので
「本当の自分(真我)に出会って起きた奇跡」って
おかげさまで本当に数えきれないほどあって
それは今も終わることなく
今も、おかげさまで毎日更新中のような日々なのですが…😌🙏
今朝はいつものようにノートを開いて
ワークをやろうと今日の日付を書こうとしたところ
「2025年3月11日」
東日本大震災の日、あれから14年の日なのだ。と気が付きました。
そう気づいたら、「本当の自分(真我)に出会って起きた奇跡」
今日最初の一行目には自然と
・14年前のこの日、本当に沢山の人が亡くなった。
でも今、家族も皆無事で、皆元気に過ごせている。
と、
そしてそのまま
・そしてそこからたった14年で人生のすべてが変わり
◯◯くん(※旦那さんです☺️)に出会え、
仕事が変わり、
住む場所が変わり、
△△(※娘です😊)を授かり、
両親のそばで暮らせていて
生活のために働かなくてはいけない状況から卒業できた。
と書き出していました。
14年前の今日、おそらく日本に住むすべての人が何かしらの大きな影響を受けたと思うのですが
それはわたしも例外なくで、
今、こうして「本当のわたし」と出会って、そのわたしを生きることで全てが変化し、おかげさまな毎日を送れていますが
今振り返ればそれは、あの震災の日がすべての始まりだったのだな、と思います。
・14年前のあの日から、転がり落ちるようにすべてが暗転して、そして出会えた「本当のわたし」
その日、私はいつものように恵比寿にある小さな会社
ーその会社はもう、新卒から勤め始めて5年近くの歳月が経っていたのですがー で仕事をしていて、
大きな揺れに、多くの人と同じように驚き、
会社の先輩の小さな携帯の画面から津波の映像を見て
それでもまだ、起きた出来事にまったく実感を感じられずに
その日はたまたま勤めていた会社のグループ会社が食品加工品を扱っていたこともあり
会社の小さな台所でみんなでカレーを作ってお夕飯を食べました。
翌日会社は休みになったのですが、実は私、震災の翌日はもともと
当時お付き合いをはじめてまだ数ヶ月くらいの方と、
姉にもらった無料のチケットでディズニーランドに行く予定だったんです。
でも、もちろんそれどころではなくなり
浦安は液状化などの報道も始まっていたかと
たまたまその当時お付き合いしていた人が浦安に住んでいて
家にいられないということで、
私が当時住んでいた和泉多摩川という駅そばの小さなアパートで数日間くらい二人で過ごしていたかと
(このあたり記憶がうろ覚えですが)
なので独りで心細い、ということはあまり無かったのですが
今振り返ると、
「そもそも、なんで震災後、実家に帰ろうとしなかったんだろう?」
と当時の自分に不思議な感情すら覚えます。
(実家、そこから40分もしないところで全然帰ることできました💦)
もし帰宅していたら、母がその時できる限りであたたかいごはんを用意して
お風呂をあたためて、あったかい布団を用意して、
父も家にいてくれて、
心細さもまったく違ったことと思います。
ふたりともいつでも私を愛してくれていたし、いつでも心配し、気にかけてくれていたこと
今ならものすごくわかります。
でも当時、まだ「本当の自分」と出会う講座を受講する前の私は、過去の出来事に一人でずっとこだわっていて、
勝手に、一人でそれを握りしめ続けていて、自分で自分の首を締めているだけなのに「頭」ではその「心」をどうすることもできなくて
だから世の中があんなことになってまでも、「実家」にはできる限り帰りたくなくて
「両親」には
「できれば素直に弱音を見せたくない、素直には頼りたくない」
という想いを頑固に持っていたのではないかと思います。それが自分を少しも楽にも幸せにもしなかったとしても。。。
(もう、私の両親への捉え方や心の全てが変わり過ぎて、当時の心境はもう、ほとんど思い出せないほどなのですが😳)
それくらい、頑なに親に頼ることや、近づくことを、当時は心の中で強く拒んでいました。
今、私の両親は当時住んでいた神奈川の家を売って
今私が住まわせてもらっている父の生家の眼の前、同じ土地に新しい家を立てて目と鼻の先(というか本当に眼の前)に住んでいて
子育てから何もかもを両親に助けてもらって暮らしていて
そうでなくても、特に用がなくても隣に遊びに行っておやつをたべに行ったり、話をしに行ったりするくらい
今は両親が大好きなのですが😊(照)
少し前に母が
「あの頃、真穂は本当に家に帰ってこなかったし、帰ってきたがらなかったものね(そう思うと今が嘘のようだね)」
と話していたくらいです。
話が少し飛んでしまいましたが14年前、わたしはそんな震災直後の日々を過ごしていて
でもこの頃、というか振り返ればずっとそうだったのですが
私は本当に毎日仕事・職場に行くことが苦しくて苦しくて
心も体もボロボロ状態で
震災の悲惨な状況などがニュースで流れても何も感じないくらい、
今振り返れば本当に心身ともに疲弊式って、麻痺しきってしまっていたので、
その頃はまだ、正直なところ”対岸の火事”状態の意識だったのだと思います。
ところが、この震災の日を境にまるで転がり落ちるかのように人生のすべてがこれでもかと暗転していったのです。
まず、(以下すべて、実際に震災に合われた方と比較してしまったら本当に小さな話だと思うのですが)
震災翌日、一緒にディズニーに行くはずだった当時お付き合いしていた彼から
いきなりバッサリ振られてしまい、
そしてその本当に数日後、
こちらもいきなり、当時離れて暮らしていた祖母が、本当に急に亡くなったのです。
そしてお葬式で、おばあちゃんの急な死のショックはさることながら
周りの従姉妹たちが皆、結婚していたり、子供が生まれたりする中で
自分だけが仕事も女性としての人生も何もかもが上手くいっていない状態に途方に暮れ、
職場に帰れば、当時勤めていた会社は社会貢献事業をメインにしていたので
震災に合われた地域の方たちに何かできることを!と社を上げて皆が情熱を燃やす中で
私は、被災地域に住む会社のお客様に連絡を一つ取ることだけでも
どんな言葉をかけたらいいのか、
いちいち傷つき、立ち止まってしまって、そのことで
「被災して大変な想いをしているのはオマエではないのに、何相手に気を遣わせるようなしどろもどろのやり取りしてるんだ!」
と上司に言われ、またそんな
”自分が直接被害にあったわけでもないのに、ショックをいちいち受けてしまう、繊細すぎる自分”を”弱過ぎる(ダメ)”と決めつけ責めて、
そんな状況の中、震災から2ヶ月ちょっとのその年の5月、
私にとってそこまでの20数年間の人生の中で、
一番心に一物を抱え続けていた姉の結婚式が行われました。
そこでも、人生で一番幸せそうな姉と、その姿を両親が心から喜んでいて(それはもちろん当たり前のことなのですが😂)
やっぱり、「何も持っていない自分」を比較して落ち込んで
いくつかの記事で綴っていますが、この日、カメラマンをしてくれていたのが私の今、夫となっているJOEさんで
この時点で夫さんとは”出会って”いて
”わー、なんかすごくカッコいい人だな。。。”と当時もしっかりと印象に残っていて
勇気を出して話しかけたりもしたんです。
なのですが、たとえ体、この身は”出会えて”いたとしても
どれだけその中で相手の存在を”認識(意識)”できたとしても
そして意識したからこそ、その相手に対して
いわゆる世の中で幸運の鍵を握ると言われる”勇気”を持って
同じく
いわゆる世の中で幸運の鍵を握ると言われる”行動”を取ったところで
自分が自分を責めたり、嫌ったり、あるいは人を(私の場合は姉、ですね)嫌ったり、責めたり、している状態
自分の不幸(と当時は本気で思っていました)や持っていないものばかりを見て、
自分で自分の不幸(しんどさ)を掘っているような状態の時って、とても視野も狭く、そしてエネルギーもとっても低い状態なので。。。
そんな自分では
どれだけ幸運(で良縁)のチャンスが目の前に溢れていても、
どれだけ見た目や何かの愛されテクニックや、そういったノウハウ、スキルを持っていたとしても
そのチャンスを活かせないし、最悪、気づけないし、
とにかく、受け取れないんです、良き縁も幸運も、「無い」のじゃなく、どれだけ”有って”も
モノにできないようになっているんです、その自分では、絶対に💦
なのでよく出会いの数を増やすために結婚相談所に登録したり、
愛されるためのテクニックやノウハウを学んだり、どれだけ美容にお金や時間をかけて、
いわゆる”女磨き”をして綺麗になったところで、またはどれだけもともと美人さんだったとしても
絶対にそれらの状態では良縁もチャンスも幸運も受け取れないんです、こぼれていくんです💦
本当に、おもしろいくらいに(いや全然おもしろくないのですが当人からすると💦)、
噛み合わない、すれ違い多発、結果として
”惜しい(残念、あと少しだったのに)”みたいなことになっていくんです💦
あるいはじゃあ今、心、内面やエネルギー(波動など)のことも知られていくようになっていて
「そうじゃなく、そういう外側に向かっていくだけを重視する生き方じゃなくて
自分の波動を整えてたらいいんだよね」
「その上で行動が大事だから、その上で行動したらいいんだよね」
というような情報もあるかと思うのですが
厳密に言うと、それも少し、違うというか、それだと何かの実が結ぶ(結果が出る)ということは難しいんです💦
出会いでも仕事でもなんでも💦
前回の記事に少し触れたように、エネルギーやスピリチュアルみたいなことに関してはプロ中のプロで、
ご自愛とかもすごく良くしてて、いつもごきげんに暮らしていて、見た目も綺麗にしていて、
でもプライベートでは独り、恋人もいない、そういう関係を他者・男性と築けない、という方
実際のところたくさんいます💦
(それが悪いとかダメとかいうことではなく、本人が本当は望んでいるのに叶わない、というところが問題なのだと思います)
また話が少し逸れてしまいましたが、実際に当時の、まだ「本当の自分と出会う」ことのなかった、講座の存在すら知らなかった頃の私も
思い切って素敵だなと思った男性(は、その時本当に未来の夫となるJOEさんだけだったのにも関わらず)に話しかけるも
もう、箸にも棒にもかからないくらいの脈ゼロの対応を返され
(後に「本当の自分」と出会って再会したJOEさんに聞いたところ
「◯◯ちゃん(※私の姉)から妹に嫌われてるという相談を何度も受けていて
その頃の真穂ちゃん(=友達の妹)の印象は最悪しかなかった」とのことでした😂)
けれど「本当の自分」と出会うことができ、思わぬ形で再びご縁が繋がってから、
そこからは1ヶ月も経たないうちにグッと距離が縮まり思いもよらない出来事がきっかけですぐにお付き合いが始まる、、、という
そして、そこから私の隣にいるJOEさんにもお仕事のことはじめ商業出版など
私が「本当の自分」に焦点を当てるたびに、隣にいるJOEさんにもどんどんと幸運が舞い込みはじめ、
JOEさんの人生も180度好転していったのですから
本当に「本当の自分」の凄さって。。。と
改めて思わざるを得ません。
また話がそれてしまいましたが、
そんなふうに姉の幸せな結婚式と、仕事も恋愛も何もかもうまく行っていない自分、
人生にもし色がついているのなら
色の明暗が姉と私でまるでコントラストかな?くらいにはっきりと違い(むしろ真逆なほどに)が明らかになり
なんとかしたいとよりいっそう仕事も恋愛も頑張るも
ここから自分の身体もますますボロボロになっていき(原因不明の血尿が出るようになり、PMS等も酷くいっときは不眠症のような、寝られても夢で仕事に追われる夢を見る、など)
住んでいた小さなアパートではなぜかカラスが共同のゴミステーションに大量発生するようになり
アパートを出ることすらものすごい勇気を必要とする、というような日すらありました(カラスの群れの前を通らないと出られない💦)
このアパートの前では痴漢にもあい、
その半年も経たない前にも別の駅のまったく違うアパートで同じことがあり、引っ越したばかりでそんな怖いことがあっても引っ越し資金もなく
(この時点でも泣いて何度も両親に電話するも、あと一言実家に帰りたいとか、両親にお金の面で頼る、お願いするということがまったく出来ず。。。もしかしたら両親からその手の話があったのかもしれませんが、それすら覚えていないくらいその当時自分に注がれているすべての愛を取りこぼしまくり、また、すべての不幸や嫌なことは無意識に拾いまくっている日々でした。。)
更に職場でかわいがっていた若い子たちが次々トラブルに見舞われていき(生理が止まる、子供ができて堕ろした、仕事で一緒に向かった東北出張から帰宅途中に後輩が謎の発作で新幹線をストップさせ救急搬送、私も東北から数日間帰れなくなるなど)
その都度傷つきショックを受けまくり、何もできない自分を責め、
どんどん一人で衰弱しきっていき、そんな状態で良い仕事ができるはずもなく
怒鳴られ続け、叱責され続け。。。(こちらも、心配してくれる人、手を差し伸べてくれる人が確かにいたはずなのにすべての愛はやはり取りこぼし、自分を責め罵倒する声だけを以下同文。。。😂)
・・・改めてこうして文字にしてみると、というかオープンに書けるのがあくまでこの範囲で、本当はもっと引くほどレベルのことが色々とあったのですが
あの震災からの数カ月間っていったい何だったのだろう?
あまりにもすべてが酷過ぎて、
何かもう、何か憑いてたとかしか思えない。。。
・・・・
そんな日々だったのですが
そもそもそれまでの私も、そもそも順風満帆でもなんでもなく
サーカスの綱渡りのような、なんとか落ちないように、必死に人生という綱を渡っている。
一歩間違えればそこからは真っ逆さまだから、ずっと気が抜けなくて、ずっと自分に鞭打つように頑張ってきてる。
そんなことでなんとかギリギリ保たれていた私の心であり、人生でした。
けれど、なんとかかんとかギリギリでも生きていられたところから
あの震災以降
本当に、転がり落ちるように真っ逆さまに落ちていって
しかもそれが、「すでにこれだけ酷いのに、それでもまだ底(底辺)にはたどり着いていないの?」と言いたくなるほど
これでもか、これでもか、と
更によきせぬ信じられないほどの不幸(アクシデント、トラブル)が内外に続いていくのです💧
そんな頃、過去、小児がんを経験していて放射線治療をしていて子供を授かることは難しいかも、と思われていた姉がものすごくあっさり妊娠したのです。
お祝いの気持ちよりも
わたしはこれだけ頑張って、
これだけ必死に真っ当に生きようとして、
なのに、
どうして何もかも上手くいかないんだろう??
いったい私の人生、何が間違っているのだろう?
もう、わからない!!!
・・・そう思わずにはいられなかった😊💦
姉は真面目にコツコツ頑張る、よりはむしろ真逆なタイプなのに、どんどん軽やかにしあわせになっていくように見えて
もう、途方に暮れるほかなかった(苦笑)
そこから講座に出会い、直後仕事が即変わり、両親に対して30年近く抱えていた思い込みがひっくり返り、夫JOEさんに出会って独立をして結婚して移住して妊娠して、、、というのはその他のいくつかの記事で何度か触れていますが
今振り返るともしかしたら私の場合は
それほどまでに「自分でなんとかしようとしても何ともならない」という経験をしなかったら、「本当の自分(真我)」と出会うことなど、できなかったのかもしれません。
なぜってその「真我」という名前も、「真我開発講座」という名前もどう考えても怪しい、と当時は感じてしまっていたし(苦笑)
当時は今のような実践会という安価なシステムもなく、2日間の講座はものすごい金額だったので。。。
あそこまで追い詰められることがなければたぶん
名称がどうだとか、(当時の)金額がどうだとか
そういう些末なところに囚われて、いつまでも
その当時の自分が許容できる範囲の何か、
その当時の自分が頭で納得できる範囲の何か、
その当時の自分が「これくらいなら失敗してもまあいいか」と安全パイで選び取れるくらいの何か
そういうものの中で選択して、
そこそこに良くなる、で納得して(自分をギリギリ納得させて)
そこそこの人生、
本当は苦しいクセに、本当はわらをもすがりたいくらいのクセに
人にそれを悟られまいとすることばかり重視して。
もしそうしていたら今のように
180度全部が変わった。
そんな心も人生も、あり得なかったと思います。
そんな安全パイな中で、自分を、守ることしか考えてなかった自分のままだったら。
だから、14年前のあの震災のおかげです。
今があるのは、今につながっているのは、奇跡の始まりは。
そしてそれは、震災が「良かったこと」という意味ではなく
震災で亡くなった人が「残念だった人(奇跡に恵まれなかった人)」なのでもなく
私達はみんな、奇跡の中で生きているということ。
いつか必ず終わり(死)は平等にやってくるけれど、
今を生きていること、いつか必ず来る終わり(死)まで生きられることが
当たり前なんじゃなくて、奇跡であって、だから
生かされてる、ということ。
この仕事をしていて、お客様の中には
「天災や事故や事件が多々ある中で
いつかそういったものが自分の身に降りかかることが怖いと感じてしまう。
真穂さんはどうですか?」
といったことを聞いてくださる方もいらっしゃいます。
すごくよく分かるし、私もずっと”それ”というべきか
何か得体のしれない”何か”に怯えて生きていた時期がとても長かったです
でもいまは少し思うのは
「いつか(生が、生きていることが)突然奪われる」怖さよりも
「今日この瞬間まで、生きれた。確かに、生かされている。」ことの感謝。当たり前じゃない、文字通りの有り難さ。
たとえ明日、次の瞬間、それが急に奪われることが有ったとしても。。。
そちらのほうを、感じられるようになったのだと思います。
しかもそれは、そうプラスに思おう、思おうと頑張って言い聞かせてそうなった(そうしてる、頑張って)なのではなく、すごく自然と。
これが本当に「本当の自分(真我)」のすごいところ、だと思います😊
そしてその心の変化、安心感をもって生きられる、自分のこと好きだな、良いなって思えるようになる
そんなことの”ついで”に、人生と言われる自分を取り巻く環境、状態、人、も、自分にとって心地よくやさしいものに徐々に必ず変化していく🌈
本当にすごいものだと思うから(その”すごさ”の恩恵を受けるための力みも自分に鞭打つような頑張りもいらない😊✨)
やっぱり、一人でも多くの方が知ったら、出会ったらいいのにな、と思います✨
久しぶりの更新、そして過去のことなどにも触れたらすごく長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただき感謝を込めて😊
今日も皆様にとって、あたたかくしてやさしい一日となりますように☀