こんにちは◎
今日は、先程ひと記事先にアップし、
こちらは2つめの記事です😊
☆今朝アップしたもうひとつの記事は、こちらから☆
https://justmystar.com/life-is-beautiful/
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これはちょうど今朝のことなのですが、いつものように娘とふたりで幼稚園に向かい、着いたら、
同じクラスの女の子が、大縄跳びを跳んでいました◎
我が家の娘さんは、まだ跳ぶことのできない、大縄跳び😊
わたしの娘は比較的月齢が遅めで(12月生まれです😊)
身体もとっても小さいので
(まだ生まれる前、妊婦健診・エコー検診の頃
「頭のサイズが小さすぎる」「もしかしたらこのまま成長止まるかも」って何度も言われてずっとびびりまくっていました😂
それだって、元気に生まれてきた今となっては「顔が小さい!!」といつも褒めてもらえる(?)ので
その時によって良い悪いという価値観はまるきり変わりますよね。。。
もちろん、最悪の事態をいつも想定し、心配して検診に臨んでくれた産婦人科の先生には今も心から感謝しています😊✨)
縄跳び以外も、いろいろなことが、同じ学年の子よりは比較的遅めだな、と感じています☀
一人っ子なので、親(主にわたし)も、守ったり可愛がることのほうが多くて、
挑戦させよう、揉まれよう、という意識は結構低いのじゃないかなと。。。
でも、これは幼稚園に娘が入園してしばらくしてから気がついたことなのですが
幼稚園という集団生活の素晴らしいところって、
自分以外の同世代の子たちがいて、
その子達が、自分にはまだ到底できない、と思っているような何かをできているところを目の当たりにすることで、
「もしかしたら自分もできるんじゃないか・・・?」
「やってみよう!!」
と
そういう挑戦する心を、
持つきっかけを与えてくれていることだなあ、と。
絵を描くことだって、ひらがなを書くことだって、
最初は、
自分の好きなように描き(書き)たい!!
だから、これで良いんだ!!と
それだけに満足していた気がします。
で、親も、完全なる点と線だけのお絵描きを
「やだ最高にかわいいーーー!あんた、天才っ!!」と
完全に満足(という名の親ばかぶり←これも主にわたし)なので、
「もっとこうしてみなよ」とか全然言わない&言いたいとも思ってないので、成長の機会があまりない🤣
でも、周りの子達が上手に描け(書け)ている、
その様子を幼稚園で目の当たりにできたから、
たぶん、娘の中で
「自由に好きなように描くのも楽しいけど
もしかしたら
上手に描けるようになったら
もっとおもしろいのかもしれないぞ・・・?」
という想いが芽生えたのではないか、と
最近、お絵かきも楽しそうにしながらメキメキと上達し、
ひらがなにも、自分から興味を持ち、
わたしがお夕飯を作っている間、パパさんが早く帰れた日は
パパにせがんで、教えてもらっている様子が見られるようになってきました😊
最近の娘の描いた絵😊ほんの数ヶ月前よりもものすごく【顔】になってて🤣、子供の成長ってほんとにすごい!!と思います☆
横に書かれている謎の記号は「あ」を書こうとしているもの、惜しい!!けど、近づいてきています😆👏
親とだけ過ごしていると、こうはならないなあと😅
本当に幼稚園さまさまだな、と思い、
今日も、お友達が大縄跳びをしている様子を見ながら、娘に
「◯◯ちゃんすごいね〜✨あーちゃん(←娘)も、
いつか、あんなふうに跳べるようになれるかね〜💕」
と話しかけていました😊
朝でぼーーーっとした表情の娘がどう受け取ったかは、はたまたわたしの話を聞いていたのかすらも不明ですが🤣🤣
きっと、縄跳びにもいつか自然と興味を持つようになってくるのかなあと思います😊
***
それで、教育や学校、幼稚園という集団生活、集団の学びの場の原点って、
本来はこういうことなんだろうなあ、って思っています。
皆が、得意不得意が違うから、皆、それぞれの素晴らしい個性だから
そんな同世代の子たちのそれぞれに触れることで
自分もやってみたい、できるかも、という想いが芽生えて
自分の中の、まだ見ぬ可能性を、自分以外の違う誰かが存在してくれているから
広げていくことができる🌈
だけれど一方で、人と比較してしまうとか、皆と同じようにできなくちゃとか、
全部が平均的にか、またはそれ以上できるようにならなくちゃだめなんだとか、
できないこと不得意なことがあったらだめなんだとか(周りに迷惑をかけてしまうんだ、とか)
そういう想いを植え付けてしまうから、集団生活や今の教育の現場というのは違うんだ、間違ってるんだ、
という意見も、よく聞くことだと思います。
でね、実は白状すると、わたしは昔はそうやって思っている人の一人でした😊💦
でも、本当の自分=真我というものを知って
ああ、そうやって、いろんな外側の、いろんな人が考えて、成り立たせてくれて今がある、
そんなありがたいことすらも、
三日月(欠けている、問題である)というふうに見てしまっている
そういうふうにしか物事を捉えられない、
【その自分】の【心のほう】が、問題だったんだ、と
そう気がつく機会を与えてもらったんですよね。
そしてそんなふうに、外側を否定、批判することを手放して、
自分の内側、心を愛の方に開拓すること、手をつけていくことに集中していくようになったら
本当に、問題と感じていた人やことや枠組みというのが
愛のかたち=何も欠けていない、何も問題ない、満月という姿 を
示し、表してくれるように、
あらゆる分野のことが、そのようになっていったんです。
※三日月と満月という佐藤康行さんが伝えてくれていることについては、また改めて記事にしますね😊
そして今は、心から、
集団生活、ありがとう。
今の教育も、ありがとう😊
そう思えるようになった気がします◎
私たちはこと、たとえば教育、たとえば政治、
外側にある、何かの枠組みそれらを【悪】だと【変えなければいけない】【問題のあるもの】だと捉えがちなのですが
手を付けなければいけないのは、そうした外側、枠組みではなく
それらをそう捉えてしまう私たちの【心】のほうなんだ、と
スマホとかSNSもそうですよね、
それが悪いか、良いか、ということばかりがいつも議論されていて
そうじゃなくて、それを悪いものにするのも良いものにするのも全て
わたしたちの【心】次第なのに。
びっくりするくらい、それが言われないで、外側の何かばかりにフォーカスをされていること
そこから、私たち大人から、まず変化していかないと
そうじゃないと、本当の「良い形」「平和」や「素晴らしい枠組み(未来)」もまた、実現していかないんだ、と
わたしはもともと、発展途上国支援や、地域活性化などの仕事に長く就いてたのですが
そう気がついたから、わたしは心のこと、その中でも、この【真我】のこと、
それ一本だけを
深めていこう、伝えていこう
なぜなら、外側にどれだけ手をつけても(それももちろん大事なんだけれど)
人の心というものが進化しないと、
世界も、人の人生も、
本当の意味で、より良くなっていくことはないから。と
確信したから、なんですよね。
ああ、わたしが今この仕事を仕事としていることの原点って、やっぱりそういうところだな、って
今朝の、娘の幼稚園の大縄跳びから改めて気がついた笑笑、
そんな一日でした😊
他者や社会の枠組みや、ということに限らず
自分のこと、三日月(欠けている、問題だ、足りない)と、もし思ってしまっている方がいたら
それも、つらいし、そう思うことが、改善していけるということ、自分や人にとって良いことなわけじゃないんですよーっていうこと
じゃあ、その代わりに何をどうしたらいいの??ということ
親御さんからもし、三日月として育てられたよ、という方も、絶対に大丈夫、今のご自身から、自分を満月として育んでいくことができるよ!!ということ
ぜひお伝えしたいです😊💕
そんな方は、ぜひこちらご活用くださいね💕💕
↓
https://justmystar.com/how-to-meet-your-diamondself/
それでは、こちらの記事もご覧下さり、感謝を込めて♪😊