こんにちは、青戸真穂です🌈

昨日は娘の幼稚園、年少さん最後の参観日でした☀

たまたま我が娘さんはその日お当番の日で、

クラスでの挨拶や、体操の時間に前に出るなど、日常の様子がよく見られてとても嬉しかった😊

お当番じゃなくても、嬉しかったけれども☀

 

主に娘を見つつ、同じクラスの子たちみんなを見回して、

「それぞれがありのままで勝手に調和するって、こういうことだなあ〜」、って思ったんです。

「子どもたちが教えてくれているなあ😌」って🌈

 

以前、こんな記事を、旧ブログの初期の頃に書いたことがあります🌈

このブログからつながってくださった方は、よろしければ読んでみてくださいね⭐

https://santasantasan.hatenablog.com/entry/7days

 

今、娘がいる幼稚園の年少さんは主に4歳の子を中心にしつつ、

もう再来月には5歳になる子や(※4月生まれ)、今はまだ3歳で、これから4歳を迎える子(2月3月生まれ)が混合していて

それってとっても当たり前のことなんだけれど、この時期の1年の差って、体格も発育も、なかなか大きいなあと感じる😌

 

我が娘は12月生まれで遅い生まれのほう、それから体格も、胎児の頃からとにかく小さい小さいって言われ続けて、今もなお変わらず「ちいさいひと」代表みたいな小柄さなんですけど。

あんなに食べているのに、いったいなぜなのか。。?😂

 

そんな娘は、これは以前も書きましたが、クラスでは妹みたいな立場で面倒みてもらえる扱い?なようで、

なぜか、娘が脱いだ制服をおともだちが畳もうとしてくれたり😂

娘が登園すると、お友達が荷物を持ってくれたり😂

 

もちろん、最近ではそのゆっくりさ、のんびりさゆえに、時には、

”おんなの子”から”女子”へと変貌を遂げつつある月齢高い女の子達に

「きょうはあやはちゃんとあそびたくない!」など言われてしょげて帰ってくることもありながら、

基本的には何かをしてもらう(与えてもらう・構ってもらう・可愛がってもらう)ことのほうが多いようです。

 

そんな扱いに、娘も慣れきっていておいおい😂

幼稚園入園時はほんとにありとあらゆることをおともだちにやってもらって平然としていてさすがに心配だったのですが

担任の先生のご指導もあって、なんとか「自分でやる」という意欲や技術(?)も育ってきた模様、

それでも未だ、娘が自分でやろうとするけど、やってあげたいと感じるおともだちがいて、

そのこたちのほうがちゃちゃっとなんでもできるので結果的にやってもらっちゃうという😅

 

春の参観と、結果的にはあまり変わってないような。。😅と思いつつ、

まあこれでよいのかな(意欲が出て、できるようになっただけでも)と、若干苦笑いの母でありました😅

 

それは、↑の過去記事で書いているとおり(一部下記に引用)

たとえばここが道路で、あなたが転んでケガをしたとする。

そうしたら、Aくん(=わたしの仕事仲間)が駆け寄って、「大丈夫?」と助ける。

それはあなたがAくんに助けられたとも言えるけれど、同時に、

あなたは転んだことによって、Aくんの優しいココロと行動を引き出したとも言える。

だから、一見弱さに見えることがあっても、それは同時に必ず誰かの役に立ててる強さになってるんだよ。

*旧ブログ「甘え下手、頼り下手なわたしの視点を180度変えてくれた”ある言葉”の話。」記事より一部引用。

 

かつてこの記事で書いたことと同じように、娘は、

”何もしていない、できないことが多く、助けてもらうことの多い子”なのじゃなくて、

ただ、ありのままの娘そのものとして在ることで

「転ぶことで、優しさや愛を引き出すということができる存在」

なのだと、心から感じているからだと思います🌈

転ぶこと=やってもらうこと、助けてもらうこと、可愛がってもらうこと ですね。

 

月齢の高いクラスのおともだちたちは、娘に何かをしてあげることを通して、自信や達成感、よろこんでもらえたり、「ありがとう😊」って笑ってもらえるよろこびなどを得てくれているのだと思います😌

そして彼女たちもまた、今のありのままの彼女らとして、自然とそうしたい・そうしてみたい時期なのだと思う🌈

 

転ぶ側、それを助ける側に、優劣は少しもないように、

どちらかだけが与えていて、どちらかだけが受け取っているのではないように、

子どもたちはそれぞれがありのままで、勝手に調和してる🌈

 

そしてあの記事を綴ってから7年の時を経て、今、わかっていることは

どれだけ「転ぶ側」にしか自分がいないように感じたとしても、だんだんと個性が育ってくれば(個性を、本当の自分を”思い出して”いけば

ときと場合によって、「転ぶ側」になることも「手を差し伸べる側」になることも、わたしたちの中にはそんな2つの相反する「与える」が同時に混在しているのだということ。

たとえばわたしも、家事や育児に関しては、そのほとんどを旦那さんや隣に住む両親に助けてもらう「転ぶ側」でありながらも

この仕事においては、自分の経験や知識を用いて、ご縁のあった方たちに「手を差し伸べる側」になっていて。

 

そんなふうに、必ず人には「できること(得意なこと)」「できないこと(苦手なこと)」両方があって、

そのどちらも用いながら「愛を、やさしさを与えること」ができる存在だということ🌈

たとえば寝たきりの病気の方や逆にマザーテレサのように、両極にのみ偏ることのできる人というのもまれにいるのかもしれませんが、そういった人生を選択(決めて生まれてくる)をする人たちはと、ても愛と器の深い魂を持った人なのだと思います🌈😌

 

それが生き物として自然なことなのに、

たとえば、わたしが娘を見て、他の子と比べて「もっとしっかりしなきゃだめ!」と、必要以上に娘に早くいろんなことができるように追い立てるようなことをしたら

娘の今のありのままの素晴らしさがきっと消えてしまうように、

「できないこと(頼ること、助けてもらうこと)」を「だめなこと」「悪いこと」としてしまうと、

そうして無理に成長促進剤を打つみたいに、少しでも早く、少しでも多く、”できる”人になろう、っていう育て方をしてしまうと、されてしまうと、

大人になったときに「がんばらなきゃいけない」と思い込んでしまうのだと思います。

そして「やってあげたい」という愛からの気持ちではなく、「手を差し伸べる側のほうが”良い”から」という理由でそれをするのが当たり前になってしまうと、人は、

他者にも「できる(やる)」を無意識で求め、強要するようになってしまうかもしれないんです。

「自分も、がんばって、無理をして、できる(やる)ようにしたのだから、お前もそうしろ!」と。

 

今の社会って、ギズギズした感じが時にあるのはどうしても、そういったところから来ているのじゃないかな。

子どもたちって、まだそれがないですよね😊

純粋に、やりたいようにそれぞれがやっていて、それで調和もバランスも取れているし、そこには愛がベースなのだと💐⭐

 

だからね、どっちでも良いんだと、どっちもあって自然なんだと、

あとは、

「手を差し伸べる側を今まで多くやってきたかもしれないけれど、そこがあなたの価値じゃないし、愛から行えなくなってしまったときには

”それやーめた!”ってしても別にいいんだよ😊」

 

・・・そんなことを子供に背中で伝えられる大人が増えたらどんなにか世界は温かいものになるだろう、って思っています🌈

 

それはたとえば、わたしもまた、幼少期のスタートがこんなふうだったときに

kin賀新年🌈自己紹介連載をスタートします😊

https://justmystar.com/official/mystory001/

 

最初は、お姉ちゃんを、親を支えたくて、「手を差し伸べる側」を、純粋な心でやっていて、

でも、それが自分の価値なのだと思い込むようにすり替わって、そして環境も変化していったときに

「それ、”やーめた!”してもいいよ❣」

「そもそも”そこ”が、あなたの価値なわけじゃないんだからサ✌」

 

そんなふうに思える心の土台(基礎)を、まず大人であるわたしたちが持っていたら、

けっこうアッサリ「やっぱりわたし、大人になったら意外と何もできない人だったわ!」と気がついて

”やーめた!”しやすくなるんじゃないかな。

 

それは、与えないよ!もらうだけの立場になってやるよ!ということじゃなくて、

それがつらく思えたのなら、受け取ることで愛を引き出す役割でもいいし、

そうして満たされてゆくと、いつか自然と再びあなただからこそできる「手の差し伸べ方」が見えてくるよって🌈

ゆっくりでいいんだよ、って😊

 

娘さんのシュールな絵。なんか表情とかサイコーで天才じゃないかと親は思ってるんですがいかがでしょうか(笑)

 

当時、この話を上司から聞けたことはもちろん貴重でしたが、その上司もやっぱりすごくがんばっている方だったし、

その後も誰もそんなことは背中で教えてはくれなかったので(笑)

なのでわたしは7年前、自分で「やーめた!していいよ!」と自分で自分に言って、勝手にやったんですけども(笑)

 

わたしは今、娘に「人に面倒見てもらってばっかだなあ😅」と思っているけれど

それが娘の良さなんだと、固定し、決めつけてしまうことはしたくないし

これからの未来に娘が「転ぶ側」「手を差し伸べる側」

そのときどきでありのままの娘として、愛の表し方を見出していくプロセスを見守りたいなと思いますし、

どっちであっても結局OK、ありのままのあなたがお母さんは大好きだよ⭐という眼差しをいつも送っていたい😊

おともだちと映っている写真はアップできず、娘ひとりのみの写真ですが☀

 

そしてそれができるためにはまず、自分が心から自分に対してそう在ることだと思うんですよね。

自分が我慢して何かを自分に強いていると、どうしても、子供にもそうしたくなるものだから。

子供に限らず、パートナーや、世の中の自分以外の人達になど。

わたしもまだまだ、プラクティス(練習)中ですが⭐

 

ありのままの自分を赦して、愛して、受け入れて、結果として人にもよろこばれ、愛され、受け入れられ。

そんな生き方・人生がかたちになること、今ここから、ぜひスタートしてみませんか?🌈

コース等で、心よりお待ちしています😌💕

【募集中のメニュー】

【2023年2月2日更新】募集中のメニュー🌈

https://justmystar.com/official/menu/

 

そしてこの日、わたしにものすごいことが起きたのですが、これはとってもプライベートなことなので

(というか他のママさんやお子さんたちのプライバシーにもかかわることなので)

また後日改めて、コミュニティでライブしますね⭐

 

みなさま、今日もやさしい一日となりますように❣😊

 

【追記】
1年前の今日、のFacebookの投稿で出てきました😊

「けっして変わらないで」は、「転ぶ側でも、手を差し伸べる側でも、そんな自分を変えようとしないでね。どっちだっていいんだよ⭐」という想いと同じ🌈

そしてわたしのこういうものごとの捉え方は、実は心の学びやオーラソーマとの出逢い以上にずっとずっと、夫JOEさんの存在による影響が大きいのも、最近気がついたことかな。

これはまた自己紹介記事に綴りますね🌈😌

 

⭐追記の追記⭐
この記事も、同じことを言っているかな😊相反しないよ💕ご参考まで🌈

大丈夫。相反することのない、自分を大切にすることと、他人を大切にすること。

https://justmystar.com/official/eachother/