こんにちは、MAHO AOTOです😊
公式サイト、オープンからようやく1ヶ月ほど経ちましたでしょうか?
まだまだ未熟であったり未完成の連載記事などもあり、
けっして訪れてくださった方にご満足いただけるようなシロモノになっていないかもしれず、大変すみません💦
とお詫びしつつ、今日は少しだけ「わたし」のこと
書きますね☀
まず、わたしは現在こちらのサイトにて「本当の自分=真我」のこと、お伝えしたり、
そこからご興味持ってくださった方向けに、わたし自身も10年前初受講した真我開発講座をご案内したり
そのフォローをさせていただく支部を担当したりもしているのですが
実は「本当の自分=真我」を10年間、ずっと休み無く追求し続けてこられたわけではないんです。
正確に言うと、2012年末の初受講から2015年末までの3年間、
個人としてとことん追求したのち、ボランティアスタッフや関連会社のスタッフとなる経験までさせてもらったあと
2015年末〜はフリーランスとして独立。
「本当の自分=真我」という表現はせずに、学ばせてもらったことを自分なりの体験も交えながらブログを通じて発信し
カウンセリングやセッション、講座などの仕事をしていました。
こちらはその頃の写真です。わ、若い😅
この頃、仕事としては、とても上手くいっていて、そして「真我」という言葉を表向き使うことはなくても、
自分の中の軸にいつもそれがあったので
親子関係、きょうだい関係も良好なまま、
その後、結婚も決まり、思いもよらず移住も決まり、
娘も授かり、子供の頃からずっと描いていた「女性としての、ふつうの幸せ」というようなものが
すべて手に入ったように感じていました。
そうなんです、わたしは小さい頃から、姉が重い病気(後に身体障がいも)という特異な家庭環境で育ったためか
「ふつうの幸せ」というのにものすごく強い憧れがあったんですね。
何をもって「ふつう」とするのかはよくわからないけれど、少なくとも
とても好きな人に出逢えて、
そのとても好きな人とお互いに思い合うことができて
一緒になることができて、
その人の赤ちゃんを授かれたら、、、と
それが当時のわたしの中の「ふつうのしあわせ」のイメージだったかなと思います😊💦
自分が、自分の生まれた家庭には恵まれなかったな(さみしかった)という想いがずっとあったので
親やきょうだいへの想いは解決しなかったとしても
せめて自分が自分なりの家庭を持てたら幸せ、と
そうずっと思い描いていたんですね。
それが、「そこまでできたらもう言うことはない」と思っていたところに
「本当の自分=真我」と出逢えたことでそこから更に
・両親や姉への想い(わだかまりや憎しみや怒り)も溶け
・家族仲が良くなり
さらに
・自分にとって「これだ」と思える夢中になれる仕事にも出逢えた
そう思うと、わたしが当時描いていた「ふつうのしあわせ」以上のしあわせ(わたしにとっての、ですよ!)を手に入れることができたと思ったし
それは、絶対に「本当の自分=真我」や、それを伝えてくれる、その自分に出逢わせてくれる講座を生み出してくれた
佐藤康行さんという人のおかげ。
だったのですが・・・
10年前、本当の自分=真我に出逢って、ずっと、確信や感謝を持っていたのに
なぜ、その「真我」という言葉を使って仕事をしなかったのか。
その「真我」を伝える仕事を、今のように、こうしてするまでに、
間、7,8年近くもその間が空いてしまったのかというと、
理由はいくつかあるけれど、いちばんは
当時、わたしが描いていた
「ふつうのしあわせ」の理想の姿、カタチというものの中に
佐藤康行さんや真我というもの(真我という言葉)が
受け入れ難く感じられたから。
なんです。
続きます◎
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