こんにちは、青戸真穂です。

 

昨日は、先日に引き続き再び、素敵なお花をお裾分けいただきました🌸

 

 

「しばらく経っているお花なので、もうあまり元気じゃないかもしれないんですけど💦」

 

とお伝えいただきながらも、うん、まだまだ元気な綺麗な子たち^^

 

そして生けてみて驚いたのが

 

グリーン、

オレンジ、

バイオレット、

コーラル、

そして

ライムに近いグリーン

 

 

偶然いただいた花束のお花たちの”色”が

まさに昨日から旅をスタートしたボトルたちの色と全く一緒という奇跡◎

 

 

 

 

この子たちです^^

 

 

自分自身への内なる旅というのはけして表にわかることはないけれど

それでもその旅路を丁寧に心を込めて歩んでいけばこんなふうに

必ず、見ていてくれる天の父と母がいて

必ず、目に見える形でもその祝福を表してくれる。

 

お知り合いの女性の温かなお気持ちを通して受け取ることのできた、天からの彩り豊かなギフトでした◎

 

***

 

私はよく、”くつろぐ”という言葉をこのブログで綴っていて

それは、オーラソーマの精神がいつも

”くつろぐことの大切さ”を伝えてくれていることを感じているからなんですね。

 

今ここにくつろいでいること、

そして

ありのままの自分にくつろいでいること。

 

 

今までの世界では、私たちは

・個人が幸せになるために

・世界が平和であるために

 

”何か”をしないといけない、と

随分と長い間、そんな誤解を真実と思って生きてきたように思います。

 

 

長い間、私たちは

現状の何か、問題と思えることを変えることや、

現状をより良くするために、できることをする。

そのために、たくさんの情報を探し、入れてゆく。

 

そんなふうに思って(思い込んで)

くつろぐことや、

スペース(余白)を作ることよりもむしろ

いそがしくすることや、いっぱいに詰め込むことをいつも優先してきたように思います。

 

時間に対しても、自分自身に対しても。

 

 

そして、今ここに、ありのままの私たちにくつろいでいることよりも、

 

・いそがしく、常に未来のために動き続けていることの方が素晴らしいこと、

・スペースが、空いていることよりもむしろ

たくさんに詰まっていることが、優れていること。

 

 

そんな誤解も、本当に長きに渡って抱え続けてきたように思います。

 

 

そんなことが当たり前の世界の中で長らく生きてきた私たちにとっては

くつろぐことは、怠けていることのように感じられることがあるかもしれない。

 

諦めや、現実逃避のようにも感じられるのかもしれない。

 

どうでもいいのですけど、今、”逃避”って打ったら”頭皮”って出てきて笑ってしまいました。笑

PCの漢字変換も、先を先を見越して一文字打ったら”これでしょう?”という感じで予測変換をしてきてくれるのですが

それもまた、先手を打ち先走ることが全て良いわけではないことを物語ってくれているかのようです笑

 

 

 

でも、そうではなくて、

”くつろいでいるというあり方を選ぶ”ということは、私は、

 

”私は、揺れることを受容します”という力強さ

 

だと感じるんです。

 

 

オーラソーマの、自分で選んだボトルを体に塗っていく時、時に、それが大きく変化してゆくからこそ、私たちは

その心や感情が揺さぶられるとき、というのがあります。

 

過去の記憶が浮かび上がってきて、苦しみが再浮上する

でもそれは、昇華して抜けてゆくという”手放しの時”でもあるんです。

 

 

”柳に雪折れなし”

という言葉にもある通り

 

しなやかな柳は、例え雪の重みが積もっても折れることなく

雪が落ちるとともに、

大きく”しなって”、またもとの状態に戻ることができます

 

大きくしなる時というのは、大きく(上下に)揺れる時でもある。

 

雪の冷たい重みを受け止めてもなお、

大きくしなって、また元に戻ることができるからこそ

柳は、柔らかいけれど本当は力強い。

 

”くつろいでいること”が大切なのは、そんな柳と同じなんです。

 

 

もし、私たちがガチガチに

自分の心にも、体にも、スペースにも

いっぱいに何かを詰め込んでいたら、

 

それはまるで完全武装のように

一見、力強く敵なしに見えるかもしれません。

 

 

でも、それだけ常にパンパンな状態であれば

 

”本当に大事な何か”を迎え入れる

受け止める余裕(スペース)は

どこにもない

 

そしてもしかしたら、逆なのかもしれないとも思うのです

 

私たちは長いこと

その時を迎えずに済むように、

その時に、本当に大切なことを受け止めることをしなくても済むように

あえて、

自分の中をパンパンにしてしまっている。

 

 

なぜなら本当に大切なものを大切な時に受け止めることには

大きな覚悟が必要だから。

 

 

”揺れることを受け止める”という覚悟を持っていること

そしてその時が来るまでは、

与えられた生に感謝して

よろこびにくつろいでいること

 

それを選び取れることが、本当の強さだと思う

 

 

子どもも、同じように思う。受け入れている。私たちよりずっと強い。

でも、それは私たちの中にもともとちゃんとあったもの。

(夫JOEさん管理の娘アカウントより)

 

 

見掛け倒しの完全武装は、弱くてはかなく、脆いものです

 

だけど、今ここの、ありのままの自分にくつろぐ勇気のある人は

余白を自分に持っているからこそ

いざという時、

しっかりとその、大切な時を受け止める強さを実は持っている。

 

 

江戸時代のような遠い昔の政治家や、お金持ちと呼ばれるような家の元に生まれた方たちというのは

普段は、ひたすら軟弱なように遊び惚けていて、それは周りにも誤解されることもあったでしょう

 

それは”ボンクラ”と揶揄されるほどに

 

 

けれどもそんな周囲の目も厭わず、平常時は自由気ままにくつろぎ、

”いざ”というときに、大きな決断やことをなすことができる。

 

 

今はたくさんの人が

・ちゃんとやっているように見られるように

・尊敬されるように、いざという時にもし何かできなくても

・”でも、あの人はいつも真面目に頑張っていたから”と

周囲から擁護してもらえるように、同情してもらえるように

 

そのために、日々、ちゃんとやっていると見られるように。

 

そんなパフォーマンスを生きている人がたくさん。

 

他者からの視線を気にし

パフォーマンスすることに生きる人と

 

ボンクラと揶揄されても

いざという時、誰の評価も視線も厭わず

自分の流儀を果たせる人

 

一体、どちらがより

この生に感謝し、尊んで生きているというのだろう?

 

私はよろこんで、ボンクラを生きていきたい。

 

 

オーラソーマはとにかくとても美しく、そして優しいけれど

だからと言って、現実に背を向けるフワフワスピリチュアルではなく

その優しさと美しさの中に、現実にしっかりと根を下ろした

物凄い芯の強さとパワフルさがある

 

どんなにたおやかに、そして優しく穏やかにくつろいで見えても

 

”柳に雪折れなし”

”柔よく剛を制す”

 

”私は、揺れることを受容します”という真実の強さ

 

それが、私の惹かれたオーラソーマの世界です🌈

 

 

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今日もありのままのあなたにくつろぎながら、

彩り豊かで鮮やかな1日を🌈

 

 

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